Keisuke Mutoh
京都の寺院「三玄院」をご紹介します。こちらは通常見学ができない非公開の寺院ですが、京都の人気観光地でもある「大徳寺」の境内にあります。貴重な文化財を有し、著名な人物とのゆかりもあることから、「一度は見学してみたい」という人が多い場所です。三玄院とは?
京都府京都市北区にある、臨済宗の大徳寺内にある塔頭(たっちゅう)寺院です。塔頭とは境内にある個別の寺院のことで、元来は高僧の墓として弟子が建てた院を意味します。三玄院は1589年(天正17年)に石田三成・浅野幸長・森忠政(蘭丸の弟)が、春屋宗園を開祖として創建しました。
大徳寺についての記事も書きましたので、宜しければご参考になさってください。→<こちら>
三玄院の魅力
創設者の3人は歴史的にも有名な人物ですので、一度は名前を聞かれたことがあるかと思います。石田三成は、豊臣政権の五奉行の中でも最も実力を持っていたと言われています。また、関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者としても知られています。浅野幸長も豊臣政権の五奉行の一人で、紀伊国和歌山藩(紀州藩)の初代藩主です。森忠政は美作国津山藩の初代藩主となった人で、兄には森蘭丸という名で知られる織田信長の近習がいました。これらの人物の歴史にも関わりのある三玄院、中には入れませんが、歴史の一端に思いを馳せながら外観をご覧になってみてはいかがでしょうか。
見どころ・関連情報
三成の墓があります
境内には石田三成や森忠政、そして開祖の春屋宗園らの墓があります。やはりこちらも一般には見学することができませんが、入口には「石田三成公御墓地」の石碑が建っています。京都では三玄院のように中に入ることができない寺院などもありますが、調べてみると有名な武将などと関わりがあるということもしばしば。そういった細かな情報を知っておけば、いっそう京都散策が楽しくなりそうです!長谷川等伯とも縁深い
長谷川等伯といえば安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師で、狩野永徳らと並び桃山時代を代表する画人です。なんと等伯、ある日住職が留守の間に三玄院を訪ね、勝手に上がりこんでそのまま襖に絵を描きだしたという話が残っています。始めは「修行の場に絵はいらない」と断っていた住職たちも、素晴らしい出来栄えに関心してしまったとか。その作品が重要文化財『山水図襖』で、現在は高台寺圓徳院と樂美術館に分けて所蔵されているそうです。その他の文化財
本堂には江戸時代の絵師、原在中による「八方にらみ」の虎が描かれた襖絵があるそうです。原在中の作品は他にも醍醐寺や仁和寺などの有名寺院にも残されています。他にも代表的なものとして、千利休の高弟7人を指す「利休七哲」の一人、古田織部の好んだ茶室「篁庵」があります。江戸時代の建築物でありながら八つの窓がある「八窓の茶室」で、天井には天窓があるのだそうです。天下の茶人となった古田織部のこだわりが詰まった茶室は、ぜひ目にする機会に恵まれたいものです。
訪れた人の声・写真
大徳寺 三玄院にて
今の私が生きる世は彼らが戦い築いたんだと改めて思い。石田三成様が戦国を生き抜いた、実在した人だという証を見る事ができました(^w^) pic.twitter.com/Resd35bCG4
— 燕@いざ上田真田巡礼! (@pgjfaj) 2015, 6月 20
三成のお墓がある、大徳寺三玄院に来たよー 非公開なので門のところだけ! とてもきれいな場所ですね pic.twitter.com/7JSoKR6jeV
— 723 (@77lehrerin) 2015, 2月 22
初めて大徳寺の三玄院さんに訪問できた。拝観することはできないから、お外から手を合わせた。 pic.twitter.com/BcJOFUuqAw
— まるみや。 (@blackbirds24) 2014, 11月 24
基本情報・地図
■ 基本情報
- ・名称: 三玄院(※通常非公開)
- ・住所: 京都府京都市北区紫野大徳寺町76
- ・アクセス::◆JR京都駅より京都市営バスで約30分
- ◆京都市営地下鉄烏丸線北大路駅より京都市営バスで約5分
いかがでしたでしょうか?大徳寺の境内は広大で多くの塔頭寺院が並び、自然も豊かで散策に大変オススメの場所です。見学ができない寺院であってもお時間があれば足を止めて、想いに耽ってみるのもいいと思いますよ!