TANAKA Juuyoh (田中十洋)
弘道館って、皆さんはご存知でしょうか?徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして開設された、江戸時代の学校にあたる藩校です。またこちらは、その中でも日本最大の規模として当時から有名だったそうです。ここでは藩士とその子弟たちが学び、入学年齢は15歳で卒業はなかったそうです。2015年4月には、日本遺産にも認定され、さらに注目が集まっているこの観光スポットの魅力や見どころをたっぷりご紹介しますので、ぜひ一度お出掛けしてみてください。
行ったらここをチェック!
1. 正庁正席の間
http://www.ibarakiguide.jp/seasons/umeiro/mito_ume/koudoukan.html
学問の試験や武術の試験を藩主がみるために用意されたお部屋がこの「正庁正席の間」。ここから藩主の方が試験を見ていたと思うと、これまた歴史のロマンを感じますね・・・
正庁は学校御殿とも呼ばれていました。藩士とその子弟が学んだ場所で、入学年齢は15歳で、卒業年齢は特に定められていなかったそうです。文武両道が奨励されていて、学術の面では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武道の面では剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多岐にわたる科目が教えられていました。明治5年(1872)の「学制」発布によって閉鎖されるまで、多くの子弟たちの学びの場でした。
2. 徳川斉昭公・七郎麻呂(慶喜公)像
http://skysoft.jpn.com/gallery/kanto/20120320-21.html
少し「弘道館」から離れたところにありますが、ゆかりのあるということで合わせて紹介させていただきます。この「七郎麻呂」こそ、後の最後の将軍となった「徳川慶喜」その人です。どういうゆかりがあるかといえば、何を隠そう「七郎麻呂」は「弘道館」で学んだことがあることです。
徳川慶喜は、江戸幕府の第15代征夷大将です。江戸幕府最後の将軍として、大政奉還や新政府軍への江戸開城を行ないました。生後7ヵ月の時に江戸から水戸に移り、9年間を水戸で過ごしました。その間弘道館で学び、頭のよさは当時から注目されていたようです。特に手裏剣が得意だったそうで、大政奉還後も手裏剣の技を磨いていたほどだったとか。明治維新後は、静岡に隠居し余生を送りました。静岡ではサイクリングなどを楽しんでいたそうです。
3. 正門と正門柱に残る弾痕
http://shintata0319-2.blogspot.jp/2015/03/2015315.html
この「正門」ただの正門ではありません!これは重要文化財に指定されている正門なのです。また、二本に柱の右側に穴が空いているのが見えるかと思いますが、ここに歴史のロマンがあります。それは、明治元年に起きた最後の藩内抗争である「弘道館の戦い」における弾痕なのです!ぜひ自分の目で確かめてみてくださいね!
正門は本瓦葺きの四脚門で、藩主が来館する際など正式の場合のみ開門したそうです。1868(明治元)年の弘道館の戦いの時に、正門・正庁及び至善堂などを残し、建造物のほとんどが焼失してしまいました。同時に貴重な書物のほどんとが焼けてしまったそうです。弘道館の戦いとは、水戸藩内の保守派(諸生党)と改革派(天狗党)の戦いのことで、戦いの末改革軍が保守派を破りました。正門に当時の戦いの面影を見ることができます。
4. 正庁
http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan01.html
こちらは言うまでもなく皆さん見るかと思いますが、これもただの真ん中に建っている建物ではありません。こちらも先ほどの「正門」と同じく国の重要文化財に指定されています。自然に囲まれた中に佇む正庁で、どういうことを思いながら勉強していたかと思いを馳せてみてはどうでしょうか?
弘道館は、当時の藩校の中では最大規模のものでした。まるで、今でいう総合大学のような幅広い教育を施していて、徳川斉昭の教育への熱意がうかがえます。この弘道館を舞台に「水戸学」が発展し、その思想はやがて、吉田松陰や西郷隆盛など多くの幕末の志士にも大きな影響を与えました。明治維新の原動力ともなった場所です。弘道館は、残念ながら幕末の紛争や太平洋戦争で焼失してしまい、現在あるものは後に復元されたものです。
5. 展示スペース
http://www.ibarakiguide.jp/seasons/umeiro/mito_ume/koudoukan.html
「弘道館」内には展示スペースが設けられ、貴重な資料がたくさん置いてあります。特に家族とともに写った「徳川慶喜」の写真は必見です!他にも、絵図や拓本など様々な貴重な展示品があるのでじっくり見てみてください。
館内にはいくつか展示スペースがあります。「水戸学」に影響を受けた吉田松陰が水戸に立ち寄ったときに書いた漢詩も忘れずに見て下さいね! その他にも、慶喜が大政奉還後の明治元(1868)年から4ヶ月にわたり謹慎生活を送った「至善堂御座の間」、正庁正席の間、武術の試験を行った対試場、玄関(弘道館」と書かれた斉昭自筆の扁額が掲げられています)なども、じっくりとご覧ください。藩士の子弟になった気分で歩くと、盛り上がりますよ!
弘道館について
弘道館はどういう経緯で、誰によって建てられたかといえば、 http://www.mitokoumon.com/kankou/%E5%BC%98%E9%81%93%E9%A4%A8-2.html
弘道館は、1841(天保12)年、水戸藩の藩校として開かれました。太平洋戦争で多くの建物が焼失してしまいましたが、中心となる正門・正庁・至善堂は創建当時のまま現存し、国の重要文化財に指定されています。「水戸の梅まつり」の時期は、満開の梅に囲まれて絶景! 水戸偕楽園とともにぜひ、訪れてみて下さい。孔子廟や鹿島神宮も一緒に訪れて、幕末の歴史に触れてみてはいかがでしょうか?水戸藩グッズもお忘れなくお買い求めくださいね!
ついで寄りたいスポット
徳川ミュージアム
http://310kouhou.seesaa.net/upload/detail/image/6-ca4bb.jpg.html
こちらは水戸駅の次の駅である、偕楽園駅から徒歩10分ほどのところにあるミュージアムです。こちらでは、徳川家にまつわる様々な貴重な展示品をみることができます。弘道館で水戸藩の子弟気分になったあなたに是非寄ってほしいスポットです!
水戸徳川家の歴史がわかる唯一の博物館です。常設展では、水戸徳川家の名宝展を行っています。「刀 燭台切光忠」は必見! 光圀公が徳川家光公から拝領した「文昌星像」、美と工芸の最高の技術がつまった婚礼道具もお見逃しなく! 展示は、フラッシュなしでの撮影ができるようになりました。この機会にぜひ、貴重な名宝と一緒に記念撮影して下さいね! ミュージアムショップには、水戸徳川家にちなんだグッズがたくさん販売されていて、お土産にもおすすめです。
参加者の声
水戸わず 車でも遠かったですね… 自然に囲まれて気持ちよかったです(∗•ω•∗) 特に偕楽園はどこを見渡しても木で最高でした٩(ˊᗜˋ*)و 行程 : 弘道館→水戸城跡→茨城県立歴史館→偕楽園→くれふしの里古墳公園 pic.twitter.com/tyufYVAIAd
— 手島 (@KT351203) 2015, 9月 20
自然に囲まれてとても癒される場所にあることがよくわかります。また他にもたくさんの観光地が水戸にはあるということですね!
古い建物が残っているって良いよね。弘道館 pic.twitter.com/JabqSl7YeR
— 一番 (@iy9000) 2015, 9月 9
ツイート通り、古い建物が残っているのが本当に趣があるといいますか、こう何か感じるものがありますよね!
関連サイト
水戸観光協会
観光いばらき
■ 基本情報
- ・名称:弘道館
- ・住所:〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1丁目6−29
- ・アクセス:JR水戸駅北口から徒歩8分
- ・営業時間:午前9時から午後5時まで (2月20日から9月30日まで)午前9時から午後4時30分まで (10月1日から2月19日まで)
- ・定休日:12月29日から12月31日まで
- ・電話番号:029-231-4725
- ・料金:こちらで確認してください→http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan03.html
- ・公式サイトURL:http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan01.html
弘道館の魅了や見どころをたっぷりご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?当時は多くの水戸藩士やその子弟が、文館で儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽などに、武館で剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多彩な科目に励んでいたそうです。また、幕府最後の将軍となった徳川慶喜は、幼少期にはここで学び、大政奉還後は再びこちらで謹慎生活を送ったと言われています。興味を持った方は、ぜひお出掛けしてみてはいかがでしょうか?