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硫黄島は小笠原諸島にあります。先の大戦中には、日米の双方に多くの犠牲者がでた場所としても知られています。そんなこの地は映画にもなっているのですが、意外と詳しいことは知られていません。これを機にぜひたくさんの人に知ってほしい!そんな思いでこの記事を書きました。豊かな自然の残る南の島で、周辺には小笠原諸島の魅力ある観光スポットもあります。忘れていけない所や知られざるおすすめの地点をまとめてご紹介しましょう。
1. 硫黄島はこんなところ
http://blog.goo.ne.jp/zendagisexorogy/e/f38c951c79800c1775f6eb01da51cfa9
硫黄島(いおうとう)は、小笠原諸島にある、東西8km・南北4kmの島です。管轄する自治体は東京都小笠原村になります。東京の中心部からは、南におよそ1200kmの距離に位置しています。島のほとんどは台地状の平地ですが、唯一の山は「摺鉢山(標高169m)」です。戦時中は、日米の熾烈な戦いとなった場所で、激戦によって多くの犠牲者がでました。現在は、海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれ、基地関係者以外の民間人の立ち入りは基本的に認められていません。、る。そのため、小笠原国立公園からは除外されている島となっています。
2011年(平成23年)には、小笠原諸島がユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されますが、硫黄島には立ち入ることはできません。
2. 硫黄島の地形
http://www13.jaycee.or.jp/2013/kanto/?p=1466
硫黄島の位置関係や地理的条件をみていくと、次のようになります。管轄する役場が置かれている父島からは300 km離れています。硫黄島の北に約75kmには北硫黄島、南に約58kmには南硫黄島があります。この三つの島で硫黄列島を構成しています。これらの島はともに海底火山の島です。2014年(平成26年)の国土地理院による調査では、父島を抜き小笠原諸島で最大の島になっていることが分かりました。現在でも、隆起量が大きい事から外洋の荒波による浸食に耐えられ、少しずつ面積は拡大を続けていると言われています。
島のほとんどは台地状の比較的なだらかな地形ですが、島の最南端に位置する最高所である摺鉢山(パイプ山 標高169 m)はカルデラ外縁の側火山です。その名の通り「すり鉢」を伏せたような形状をしています。火山ですから、「マグマ溜まり」があり、島のいたるところに水蒸気が噴出しています。
3. 硫黄島の島名について
http://35027047.at.webry.info/200811/article_1.html
島の名前の由来は、火山島特有の「硫黄」からきています。硫黄島の呼び名は、戦前は島民と主に陸軍の間では「いおうとう」、海軍の一部の間と明治時代作成の海図では「いおうじま」でした。アメリカ合衆国では、この海図の表記に従い「Iwo Jima(イオージマ)」としていました。終戦後は、米軍の統治下にあったことから「Iwo Jima」と呼称されていました。1968年に硫黄島が日本に返還された時点で、国土地理院発行の地形図上の呼称は「いおうとう」に戻されています。1982年の地形図改訂の際に小笠原村は同島の呼称を「いおうじま」と東京都に報告しています。
その後、しばらく「いおうじま」と呼ばれてきましたが、2007年3月に小笠原村議会において、呼称を「いおうとう」に統一する「硫黄島の呼称に関する決議案」を提出し採択されます。それ以後は、「いおうとう」が定着するようになります。
4. 硫黄島の歴史① 戦前
http://blog.livedoor.jp/fed_bar/archives/51080525.html
硫黄島の歴史は大航海時代に遡ります。1543年、ベルナルド・デ・ラ・トーレ 船長の率いるのスペイン船サン・ファン・デ・レトラン によって発見されたと言われています。また、1779年にはジェームズ・クックが率いるレゾリューションおよびディスカヴァリーにより、サルファーアイランドと命名されたと伝えられています。
1887年には、東京府による探査も行われています。1889年6月、父島の住民田中栄次郎が、父島で建造した帆船南洋丸にて十余名とともに、鮫漁と硫黄採取を目的として入植し、硫黄島の開拓が開始されたと言う記録も残されています。
1943年の調査によると、当時の硫黄島村の人口は192戸1,018人(男533人、女485人)であったとされています。太平洋戦局が激しくなる1944年には、大本営はマリアナ諸島の防備強化と合わせて、小笠原諸島の防備強化を開始します。
陸軍部隊が硫黄島に進出。参謀本部は、小笠原防備をさらに増強することを目的として第109師団を創設。栗林忠道中将を師団長に任命することになります。1944年6月15日、アメリカ軍はサイパン島上陸とあわせて硫黄島を空襲。翌日の空襲と合わせて島内はほぼ焼失しています。
1944年6月下旬、島民に対しては父島経由で内地へ疎開する命令が発令されます。3回に分けて島民の疎開が行われ、軍に軍属として徴用された者(約230名)を除く全島民が硫黄島を離れることになります。これによって、島民が生活を営んだ硫黄島村の歴史は幕を閉じることになります。
1945年2月から3月にかけて行われた硫黄島の戦いで、日本軍が2万129人が戦死。米軍は2万8686人の戦死傷者を出す大激戦が繰り広げられました。そして3月17日には、硫黄島は米軍に占領されることになります。
5. 硫黄島の歴史② 戦後
http://blog.goo.ne.jp/joe_and_mick/e/1849a6f9eef7499a7c04096067caf74c
終戦後、硫黄島はアメリカ合衆国の施政権下におかれることになります。その間、1960年代までアメリカ空軍基地があり、核兵器保管に使われていたと言われています。1968年6月26日、小笠原諸島と共に硫黄島は日本に返還されますが、「硫黄島村」ではなく、「小笠原村字硫黄島」ということになります。1976年には、常時地震観測が開始されます。また、1985年2月19日、硫黄島の米軍上陸40年目に当たる日に、「名誉の再会」と呼ばれる行事が行われた。参加したのは硫黄島戦に参加した両軍の兵士、場所は米軍が上陸した二ッ根浜でした。
その後、1995年3月には50周年記念、2000年3月には55周年の日米合同慰霊祭がこの碑の前で行われています。
返還後は、海上自衛隊管理の航空基地が設置されます。島内全域がその基地の敷地とされているため、基本的には基地に勤務する自衛隊員以外は島に立ち入ることが禁止されています。ただし、基地の維持や補修などにあたる建設業者や遺骨帰還事業を行う厚生労働省職員等の立ち入りは許可されています。
6. 硫黄島の住民
http://blog.goo.ne.jp/joe_and_mick/e/5ceb0de7cf8b29bf9a0b49b3003dc9fc
現在は、基地関係者以外の民間人の全島への立ち入りが制限されています。ただし、旧島民らの慰霊や遺骨帰還事業などのための上陸は例外として許されています。したがって硫黄島には、現在、基地関係者以外の住民はいません。穏やかな日々を送っていた頃の硫黄島には、島北部に元山地区、東地区、西地区、南地区、北地区、千鳥地区の6つの集落がありました。元山地区には硫黄島尋常小学校と硫黄島神社が置かれ、島の中心となる地区でした。
当時の島内の産業は、硫黄採取鉱業、サトウキビ、コカ、レモングラス等の栽培。また、近海沿岸漁業等です。これらの産業は、「硫黄島産業株式会社」によってすすめられていました。島の人たちのほとんどは会社に直接、間接的につながっていたと言われています。
島外との行き来は、月1回程度の郵便船で母島へ渡り、そこから船で東京へ向かうルート。2か月に1度の日本郵船の定期船「芝園丸」で東京へ直行するルートがあったようです。
7. 硫黄島の忘れてはいけないスポット① 遺骨収集
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/62566254.html
硫黄島の戦いの激戦で戦死した2万129人の内、遺骨が帰還したのはおよそ8千柱とされています。残る1万3千柱あまりの遺骨は残されたままです。予算確保の問題や作業員人員確保の問題、埋葬地等の特定作業、噴出する高温・有毒な硫黄ガスへの対処など困難を極める作業となっているのが現状です。この事業をすすめているのは、厚生労働省をはじめ、硫黄島協会や戦没者遺族等のNPO法人やボランティアなどです。2010年8月10日には菅直人首相の指示により、政府による「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」が設置されました。国をあげての遺骨帰還がのぞまれています。
一方、硫黄島で戦死した米軍兵の遺体のほとんどは、硫黄島の戦い後、しばらくは摺鉢山山麓を中心に墓地を造成し、十字架を立てて手厚く埋葬されました。現在では、その全てが米国本土へと帰還を果たしています。
8. 硫黄島の忘れてはいけないスポット② 摺鉢山14糎水平砲
http://blog.livedoor.jp/pdispn/archives/51057055.html
「摺鉢山14糎水平砲」と呼ばれているのは、硫黄島の摺鉢山に設置された水平砲台です。米軍艦艇を砲撃したため、米軍の艦砲射撃と爆撃の標的にされこの砲を含め13門の火砲が破壊されました。この砲台周辺には、およそ200名が埋葬されていることが判明し、その内152柱が収容されています。14糎水平砲はもともとは、重巡洋艦に使われていた副砲であったと言われています。本来は米軍の上陸後に海岸線において打撃を与える作戦であったとも言われていますが、結果はそうではなかったようです。
9. 硫黄島の隠れた観光スポット③ 千鳥温泉
http://plaza.rakuten.co.jp/omoidekinen/diary/?PageId=2&ctgy=1
火山島である硫黄島には写真のような水蒸気が噴出する場所が数多く見られます。千鳥温泉は、硫黄島の日迎浜にある温泉です。温泉と言っても私たちが利用しているようなものではなく、簡単に入浴できる温泉ではありません。深さは5mあまり。常に高温の水蒸気が出ています。辺りの地熱も高温です。10. 硫黄島の隠れた観光スポット④ 鶯地獄
http://plaza.rakuten.co.jp/younii/diary/200908160001/
全国各地にある温泉には、「地獄」とよばれる温泉がたくさんあります。硫黄島にも、よく似た光景の温泉があります。写真は「鶯地獄」と呼ばれているものです。水蒸気を噴き上げ、底の部分は泥質のものが沸いています。周辺一帯は立ち入り禁止区域となっていますが、硫黄島が一般民間人の上陸を制限していますので、近寄る人はほとんどいないでしょう。
11. 硫黄島の隠れた観光スポット⑤ 硫黄島・航空管制塔
硫黄島の航空管制塔は、海上自衛隊が管轄する施設です。離発着の回数から言えば、航空自衛隊、米軍、そして海上自衛隊の順になっているようです。物資輸送が主で、食料品や整備用機材、郵便物などがはこばれています。便数は、週1回から3回程度です。12. 硫黄島の隠れた観光スポット⑥ 硫黄島神社
http://blog.goo.ne.jp/joe_and_mick/m/201412
「硫黄島神社」は、もともと硫黄島の元山地区にあったようです。戦後になって、現在の位置に移されてきました。赤い鳥居の正面奥に小さな祠があります。本当に小さな祠です。色も鳥居と同じ赤色です。祠の周りには、参詣者が供えた品々が置いてあります。13. 硫黄島の隠れた観光スポット⑦ 硫黄島島民平和記念墓地公園
http://blog.goo.ne.jp/joe_and_mick/m/201408/2
硫黄島島民平和記念墓地公園は、慰霊式典が行われる場所です。建物群は三角に尖った形で印象的です。式典では白いテントが張られます。式典には、来賓や主催者、硫黄島島民関係者が参列します。写真の左奥あたりに、旧島民墓石があります。14. 硫黄島の動物
http://www.ybird.jp/cgi-bin/db/ybird.cgi?do=data&msg=1421893672_08674
硫黄島は亜熱帯性の気候で、火山島でもあります。珍しい海洋性の鳥類や他の動物が生息しています。鳥類で言えば、この辺りしか見られない貴重なものがいます。例えば、アカオネッタイチョウ、シラオネッタイチョウなどです。写真はメグロです。こちらも珍しい鳥です。その他、危険な動物もいるようです。小型で毒も弱いとはいえ、サソリがたまに見られると言うことです。また、初夏になるとサメが近海に現れるため、現在、島の周辺は遊泳禁止になっています。
15. 硫黄島の植物
http://35027047.at.webry.info/200810/article_30.html
硫黄島は、本土と同じくらいの降水量しかありません。河川もありませんので水はとても貴重です。しかも火山島ですから、地熱の高い場所が多くあります。写真のように根を張りにくい場所では、植物が繁茂することは難しい環境でもあります。しかし、それ以外の場所になると、島の一部には戦前、育てられていた果物などが自生しています。実際にパイナップル、バナナやオレンジなども見られます。場所によれば「月下美人」が群生しているところもあると言われています。ガジュマルの木はかなり繁茂しています。
16. 新橋に硫黄島の企業が?
http://depart.blog21.fc2.com/blog-entry-2181.html
新橋に硫黄島の関係の企業があるとのことですが、それは「硫黄島産業株式会社」ではないでしょうか。十仁病院の建物は解体されていますが、堤第一ビルが残っています。そのビルに入っていたのが「硫黄島産業」だと思われます。この会社は、大正時代に創業した会社で、砂糖の卸し事業を展開していました。正式の会社名は「硫黄島拓殖精糖会社」で、戦前の「硫黄島産業株式会社」だと考えられます。硫黄島で、硫黄採取鉱業やサトウキビ、コカ、レモングラス等の栽培農業をはじめ、近海沿岸漁業も展開していた会社です。
17. 島内での携帯電話は…
http://www.sice.or.jp/org/journal/article/47-12-b.html
従来は、硫黄島では携帯電話は圏外となり使用ができませんでした。しかし、平成25年8月1日の時点ですが、海上自衛隊によって、「携帯電話基地局の設置事前調査及び設置工事を行う業者ついて、次のとおり募集します。」という入札がなされました。これによっておそらく現在では、海上自衛隊の隊員は無論、基地関係者や慰霊や遺骨帰還事業にかかわる人も、硫黄島で携帯を使えるようになっているのではないでしょうか。なっていなくてもいずれ近いうちに、使えるようになると思われます。
18. そもそも民間人が上陸できるの?
http://blogs.yahoo.co.jp/ichikishigeo_07/53596353.html
基本的には一般の民間人は硫黄島には上陸できません。ただし、基地関係者や遺骨帰還事業などで認められた人は許可を得て上陸することになります。毎年行われている、慰霊祭と旧硫黄島民の里帰りが行われていますが、これも認められた人のみです。また、厚生労働省が硫黄島戦没者遺骨帰還における特別派遣)の参加者(ボランティア)を募集した際に、応募することによって認められれば上陸が可能です。上陸が認められても、硫黄島には大きな港はありませんので、船ではかなりの制約があるようです。飛行機(特別機)を使う場合もあります。
19. 硫黄島を見るには 小笠原諸島周遊クルーズ
http://www.kanko-ogasawara.com/article/353415717.html
硫黄島へ上陸できるチャンスはかなり制約があります。しかし、硫黄島を含む小笠原諸島の観光めぐりでは、小笠原諸島周遊クルーズがおすすめです。就航しているのは、「おがさわら丸」とクルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」が主な船です。写真は「おがさわら丸」です。1200kmの長い船旅となりますが、快適な船内でゆったりとした旅を楽しめます。
■ 基本情報
- ・名称:定期船「おがさわら丸」
- ・運航会社:小笠原海運株式会社
- ・発着港:東京港竹芝客船ターミナル
- ・アクセス:JR浜松町駅北口下車徒歩約7分
- 東京臨海新交通「ゆりかもめ」竹芝駅下車徒歩1分
- ・電話番号:03-3451-5171
- ・料金:http://www.ogasawara-channel.com/access/ogamaru.htm#i-3 にて
20. 硫黄島の噂 心霊現象
http://mltr.ganriki.net/faq08d06i.html
硫黄島には不思議な心霊現象があると言う噂があります。もちろん、硫黄島に限らず、全国各地にそうした怪奇現象が報告されてもいます。特に、先の大戦で多くの人が犠牲になった島ですから、こうした心霊現象が語られるのも無理からぬことかもしれません。実際に、現地に派遣されている自衛官からもそのような不思議な現象が語られる場合もあるかも知れません。心霊現象と思われる事象もたくさんあります。それが本当なのかどうか、また、信じるかどうかは聞いた人の判断に委ねるしかありません。
確かに言えることは、今から70年ほど前に多くの人が犠牲になっていった事実です。そして今の日本がその犠牲のうえに成り立っているということでしょう。今いる私たちの責任を自覚して、生きていくことが大切なのでしょう。
21. 宿泊はお隣の小笠原で① ホテルホライズン
http://mac-ojima.at.webry.info/200712/article_1.html
「ホテルホライズン」は父島にある宿泊施設です。オレンジ色の建物が、とても印象的な雰囲気です。南国の豊かな自然の中で、ゆっくりとリゾート気分で楽しめます。エントランスからは、美しい海と白砂のビーチが広がっています。■ 基本情報
- ・名称:ホテルホライズン
- ・住所:東京都 小笠原村 父島 扇浦
- ・アクセス:東京・竹芝港より 小笠原海運 の定期船「おがさわら丸」にて25時間半
- 父島・二見港から車で約10分(二見港~ホテル間は送迎があります。)
- ・営業時間:チェック イン 2:00 pm チェック アウト 10:00 am
- ・電話番号:04998-2-3350
- ・料金:詳しくはお問い合わせ下さい。
- ・公式サイトURL:http://www.mmjp.or.jp/hotel-horizon/welcome.html
22. 宿泊はお隣の小笠原で② ハートロックヴィレッジ
http://kitanippon-tours.sblo.jp/archives/20120410-1.html
小笠原で気楽にリゾートライフを提供しているのが、「ハートロックヴィレッジ」さんです。大自然のなかで、それを感じながら過ごせる雰囲気があります。父島では最も賑やかな大村地区にありますので、小笠原の人たちの優しい人情も感じることができます。■ 基本情報
- ・名称:ハートロックヴィレッジ
- ・住所:東京都小笠原村父島 東町
- ・アクセス:港から徒歩1分
- ・電話番号:04998-2-3317
- ・料金:10,800円~20,700円 詳しくは下記URLへ
- ・公式サイトURL:http://take-na.com/village/index.html
23. 宿泊はお隣の小笠原で③ 父島ビューホテル
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/68252/68252.html
「父島ビューホテル」さんは、父島の二見港前にあるホテルです。まだ創業してから3年ほどの新しいホテルです。広くて明るいお部屋で、全室オーシャンビューの美しい眺めが自慢のホテルとなっています。ロケーションもとても良く、楽しい旅の思いづくりにはおすすめです。■ 基本情報
- ・名称:父島ビューホテル
- ・住所:東京都小笠原村父島字東町
- ・アクセス:小笠原村父島二見港から徒歩30秒
- ・電話番号:04998-2-7845
- ・料金:宿泊プランは多数あります。詳しくは下記URLへ
- ・公式サイトURL:http://www.ogasawaramura.com/stay/area1/viewhotel.html
硫黄島について、詳しく知っていただけたでしょうか?この地に立って、まわってみることが出来ないので、知られざる場所と言われることが多いのですね。周辺をフェリーでまわることしかできませんが、多くの歴史があるこの土地をぜひ感じに行ってみてください!そのあとは、船でゆっくりと旅を楽しんでいただければと思います。また、近くには小笠原諸島があるので、観光もしていきましょう。ここには、魅力的なスポットがたくさんあります!良い旅行になりますように。