中津城は、大分県中津市二ノ丁に位置し、観光の中心的なシンボル。豊臣秀吉の軍師・黒田孝高(如水)が築城し、江戸時代の大半は、奥平氏が居城しました。2014年のNHK大河ドラマで、一躍注目の的となったので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?天守閣の中にある「歴史資料館」では、貴重な家宝を展示しています。規模が大きいとは言えませんが、見どころやオススメしたいポイントがたくさん。できるだけ皆さんに「魅力」をお伝えできるように、詳しくご紹介します。
中津城とは?
中津城は豊臣秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛が築城したお城です。後に細川、小笠原と城主が代わり、江戸時代には奥平氏の居城となっていました。
中津城は中津川の周防灘に面した河口に造られ、堀には海水が引き入れられました。
全体の形が扇に似ていた為、扇城とも呼ばれていました。
中津城がある中津市は、大分県の北西に位置し、中心市街地が瀬戸内海の周防灘に面しています。中津城は中津市の市街地を流れる中津川の河口付近に築かれた平城で、1964年に建てられた天守閣は中津市のシンボルとなっています。なお、この天守閣の中は奥平家歴史資料館となっており、貴重な鑓や資料などが展示されています。中津駅から徒歩で15分くらいで行ける、中津市の観光の中心と言える場所です。
中津城の魅力
黒田官兵衛が豊臣秀吉から豊前6群を拝領した時にはその居城は馬ヶ岳城という山城でした。そこで改めて城下町を造る為に平地で水利のある場所を選び、建てられたのが中津城です。
豊かな土地と海運による交通の要所という拠点の要にあり、その後の豊かさを見越した築城だったのです。
また、知恵者と言われた黒田官兵衛らしさをこの城の造りでは垣間見る事が出来ます。
本丸北側に官兵衛時代と細川時代でくっきりと分かれた石垣がありますが、黒田官兵衛の造った石垣は、四角く削ったような石が使われています。
これは効率化を考えた官兵衛が川の上流にあった古城跡の石垣をそのまま運ばせて使わせた物なのだそうです。
また、本丸南側は当時の最高技術「穴太積み」を用いた自然石による石垣が造られていて、全く加工していない自然石をそれぞれの特徴を活かして積み、更に直線的な石垣の上の端はゆるやかなカーブになっていて、石垣が崩れにくくする技法である「輪どり」が使われています。
江戸時代のほとんどの期間、中津城は長篠の合戦で大きな戦功を挙げた奥平氏の子孫が城主を勤めていました。中津城の天守閣に展示されている資料の多くは、奥平家に代々伝えられてきた物です。また、江戸時代と通じて中津城には天守閣は無かったらしいのですが、市民からの寄付を中心に萩城の天守閣をモデルにして建造され、今では中津市のシンボルとなっています。
見どころ・お勧めポイント
白鳥鞘の鑓
この白鳥鞘の鑓は奥平家の家宝で、奥平忠昌が徳川家康から拝領した物です。この鑓の穂先は、源氏の弓の名手であった源為朝が使用した鏃であると伝えられています。
元は徳川家康が織田信長より拝領した物でした。
三条小鍛冶宗近の作という事です。
白鳥鞘の鑓を拝領した奥平忠昌は、奥平家が中津に来る前の時代の藩主です。徳川家康の長女亀姫は奥平家に嫁いでおり、忠昌は家康にとって曾孫にあたります。忠昌が幼いころ、父と家康を見舞った時にこの鑓を見せてもった際、ねだって拝領したものといわれています。以後、奥平家の家宝として、今も大切に保管されています。おじいちゃんがかわいい孫にねだられて、大事にしていた物を気前よく与えてしまったんでしょうね。
紺羅紗地沢瀉文様陣羽織
奥平信昌着用の陣羽織です。舶来の羅紗が使用されていて、鮮やかな紺に背に白抜きの文様と、かなり洒落者であったであろう事を伺わせます。
襟や縁に水色の繻子、紫の左右撚り紐なども配されていて、そのセンスの良さも伺えます。
奥平信昌は、徳川家康の長女と結婚した徳川家の有力な家来で、武田軍を織田・徳川連合軍が破った長篠の戦いで大活躍した人物です。主君の家康に従って多くの合戦にも参加しました。江戸時代を通じて中津城を中心に中津の町を治めた奥平氏の先祖にあたる人物で、その奥平信昌が当時戦場で着用していた羽織を中津城で見ることができます。当時のサムライにとって、戦場は自分の活躍を見せる場所でした。そのため、派手な装束で戦った武将が多かったようです。そんな中でも、良いセンスを持った人物だったのでしょう。
長篠の戦い時使用の法螺貝
当時の戦では、戰場で法螺貝を吹き鳴らして様々な合図を送っていました。長篠の戦いの時に使われていた現物の法螺貝という事です。
中津城の2階の長篠の戦い特別展示場では、この戦いで使われた貴重な品々が展示されています。この法螺貝もその1つで、当時の主である奥平信昌が部下に使わせたものです。この他にも、この戦いで使われた奥平信昌公の甲冑や火縄銃も展示されています。長篠の戦いでは、奥平信昌は長篠城に籠城して武田軍をこの城に釘付けにし、織田・徳川連合軍が準備する時間を作りました。これによって、織田・徳川連合軍は武田軍に勝利することができたと言われています。
徳川家康公直筆の書
中津城天守閣は歴史資料館になっていて、前述の品々と共にこの徳川家康直筆の書も展示されています。城主となった奥平信昌は徳川家康の長女である亀姫を娶っていたので、その子どもたちは家康の孫でもありました。
奥平信昌が家臣としてめざましい働きをした事もあって、深い信頼関係を築いていたようです。
この直筆の書も、中津城の2階の長篠の戦い特別展示場で展示してあります。当時の大名は、字のうまい人に代筆させるのが一般的で、直筆の書を送るのは重要な相手に限られていました。直筆の書がある、ということでも奥平信昌が、徳川家康にとって重要な家臣であったことが伺えます。また、直筆の書の最後には、サインにあたる花押が書かれています。家康の花押をこの書でも見ることができます。他にも、江戸時代に書かれた書状などの貴重な資料が展示されています。
中津城人間ひな飾り
中津城の広場に設置されたひな壇に、公募で当選した新婚カップルとその関係者がお内裏さまとお雛様、官女やお囃子などに扮して並ぶという物です。毎年行われていて、お城を背景に飾られる人間のおひな様はとても見応えがあります。
中津城では、毎年3月のひな祭りシーズンは合わせて、人間ひな飾りのイベントが開催されています。土日の2日間、1日に3回登壇して、合唱や日舞、琴演奏など華やかなステージが催されます。他にも、5月には中津城たにし祭り、10月には観世能、11月には写生大会といったイベントも開催されています。中津城たにし祭りというのは、火縄銃演武や甲冑行列が行われるイベントで、長篠の戦で籠城した奥田勢が堀のタニシを食べて飢えをしのぎ、戦いに勝利したことに由来しています。
訪問者・体験者の声
しかし展示物の内容の豪華さに満足されている方もまた多いようです。
中津城はそれほど大きくなく、天守閣の歴史資料館を見るのがメインになるので、詳しく見て回ってもそれほど時間がかかりません。城跡の中では、こしじんまりとした印象を受ける人が多いようです。その分、近くの神社や福沢諭吉の生家などをまわって中津の観光を楽しむことができます。中津市内の観光に便利な中津駅のレンタル自転車は、駅北口の観光案内所で申し込みしてください。身分証明書を提示すれば、4時間無料で借りられます。
「中津城」についての詳細
中津城は、JR九州で人気の特急列車・ソニックも停車する、JR日豊本線・中津駅から北西に徒歩で約15分の中津川沿いにあります。中津の町は平坦な道路が多いので、駅で自転車を借りて行くと便利でしょう。また、車で行く場合は、九州自動車道の小倉東インターチェンジから国道を使うか、または、東九州自動車道で中津市市街地の南で一般道に降りて行くことができます。中津城の近くには、中津公園 無料駐車場があるので、ここに車を停めてください。
■ 基本情報
- ・名称: 中津城
- ・住所: 〒871-0050 大分県中津市二ノ丁本丸
- ・アクセス: 小倉東ICから44km約1時間、宇佐ICから21km約30分/JR日豊本線中津駅から徒歩約15分
- ・営業時間:9時から17時
- ・定休日: 無休
- ・電話番号: 0979-22-3651
- ・料金: 大人(高校生以上)400円、子供(小学生以上)200円
- ・オススメの時期: 春
- ・公式サイトURL: http://www.nakatsujyo.jp/
中津城は、日本三大水城の一つ。海のすぐそばにあり、堀に海水が流れ込んでいるのが特徴です。最上階の展望台から見る「中津川」と「豊後水道」は、絶景ですよ。歴史的に重要な意味を持ち、美しい景色も望める、魅力的な観光スポットです。駅から徒歩で15分。無料のレンタル自転車を利用するとさらに便利ですよ。近くの「福沢諭吉の旧邸宅」や「城下町」を眺めながらのサイクリングは最高!とてもステキなところなので、ぜひ訪れてくださいね。