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伝馬町牢屋敷(でんまちょうろうやしき)は、かつて江戸に存在した囚人などを収容した施設です。現在は穏やかや地域でそんな場所があったなんて信じられませんね・・・しかしここで確かに死刑の執行を待つ死刑囚たちが収容されていたのです。先人達のいろいろな犠牲があってこその現在の生活なのですね。普段は意識することのない大都会の歴史の闇に触れてみましょう。
伝馬牢屋敷跡とは?
http://kakonotabi.at.webry.info/201504/article_2.html
江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず、伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより、未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近いそうです。
伝馬牢屋敷跡の魅力
http://kakonotabi.at.webry.info/201504/img5_2.142943636688598482180.html
伝馬町牢屋敷では、慶長年間から明治8年まで270年にわたって数十万人もの囚人が収容しされました。幕末期には吉田松陰、橋本左内、高野長英らも収容されたそうです(高野長英は脱獄)。現在跡地は、十思公園(じっしこうえん)となっています。伝馬牢屋敷跡のみどころ
1.囚人たちの地獄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%8A%B1
牢内は囚人による完全自治制で、牢屋役人ですら権限の及ばない世界でした。狭い牢内で平囚人は体を伸ばすことすら出来ませんでした。
生活するのに困るようになると「作造り」と称する殺人が行われました。主に規律を乱す者、元岡っ引や目明し、いびきのうるさい者、牢外からの金品等の差し入れのない者などが標的にされ、暗殺されました。窓がなかったため、日光も入ってこず、衛生状態もひどいものでした。 2.吉田松陰の歌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0
かの有名な吉田松陰も収容されていました。遺書として門弟達に向けて『留魂録』を書き残しており、その冒頭の辞世は“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”。また、家族宛に『永訣書』を残しており、こちらには“親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん”が辞世として知られています。3.処刑を報せた時の鐘
http://yuusuke320.blog115.fc2.com/blog-entry-2494.html
江戸時代最初の時の鐘です。音色は黄渉調長久の音といいます。時の鐘。日本橋石町に設置されていたこの鐘が鳴ると共に処刑が執行されたそうです。この鐘は同時に江戸の人々に時刻を報せていた鐘でもあります。日常的に死刑が執り行われていたなんて今じゃ考えられませんね。口コミ小伝馬町の交差点から歩いて2分、吉田松陰終焉の地。感動しました。
朝の散歩で見つけました。 http://www.jalan.net/kankou/spt_13102af2170020944/kuchikomi/0000217996/
朝の散歩で見つけました。
http://www.jalan.net/kankou/spt_13102af2170020944/kuchikomi/0000217996/
■ 基本情報
- ・名称:伝馬牢屋敷跡(十思公園内)
- ・住所:東京都中央区日本橋小伝馬町3-4-5
- ・アクセス:小伝馬町駅から徒歩で3分
- ・料金:無料