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乙訓社とも呼ばれ、祭神は「火雷神」「玉依姫(たまよりびめ)」「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」「活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと):垂仁天皇」の四神を本殿脇の春日神社に「春日神(かすがのかみ)」を祀っている。「続日本記」に雨乞いの神様として平安中期まで度々出てくる社格の高い社です。
1.「角宮神社(すみのみやじんじゃ)」とは?
江戸時代には「乙訓社」「乙訓大明神」と呼ばれ、江戸時代から向日神社とともに延喜式内社「乙訓坐火雷神社(おとくににいますほのいかずちのじんじゃ)」の論社(似たような名前の神社が二つ以上あり、どれが『延喜式』に記されているか決定し難いもの)となっていました。長岡京遷都にあっては、従五位下の神階が与えられるほど社格のある神社でした。
2. 「角宮神社」の魅力
祭神の「乙訓坐火雷神」は、雨乞いに効く神として奈良時代には広く信仰を集めました。もともと二社あり上社が向日神社、下社が角宮神社でした。承久の変(1221年)により下社である角宮神社社殿は焼失しています。室町時代になって再興されましたが、上社、下社で神宝をめぐる対立があり、ご神体は1883年に下社に遷されています。そんな対立の歴史がこの神社にはあるんですね。
3.見どころ・お勧めポイント
向日神社
元々は向日山に鎮座する「向神社」(上社)と「火雷神社」(下社)の別々の神社でした。社伝によると奈良時代の創建で、『延喜式』には「向神社」と記載され、本殿は1418年に建造されています。室町時代の「三間社流造」という建築様式で国の重要文化財となっています。角宮神社とは江戸時代に社格をめぐる争いがあるなど、人間臭い歴史があります。
松尾大社
角宮神社から北へ、京都市西京区にある松尾神社は、渡来人の秦氏の氏神として信仰した古い社です。祭神の一人「大山咋神(おおやまぐいのかみ)」という方は、弓矢の使い手だったようで、その用いた矢について、『山城国風土記』にこんな記載があります。「賀茂建角神命」の子の「玉依日売」が川上から流れてきた丹塗矢(弓矢ですね。ここでは乙訓郡の火雷神を表しています)により妊娠して賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)を生んだという伝承があり、角宮神社とは縁の深い神社ということです。う〜んよくわかりません。
社格論争(江戸時代)
ここに面白い史実があります。江戸時代幕府から社格及び本末改めの触れがだされ、各宮神社が向日神社の摂社であるとされました。これに対し角宮神社の氏子である井ノ内村ではこれに反対し、出訴するに及んだのです。向日神社は京都町奉行所、角宮神社は四条家を後ろ盾に関白へ働きかけたのです。結果は町奉行所の権威が優先し和解となったのですが、今も昔もこうした争いが絶えなかったというのが妙に親近感を覚えますね。
4.口コミ
角宮神社(長岡京市)乙訓巡り すみのみや神社。井ノ内地区の産土神。正式には乙訓坐火雷神社。 境内横には、なぜか鳥居の残骸があります。御朱印は長岡天満宮にて。 pic.twitter.com/jPTQdT5jL5
— ちゃぱ (@chapa_env) 2015, 1月 4
Yahoo!ブログを更新しました。 第1750社角宮神社京都府長岡京市井ノ内南内畑 http://t.co/jAem0cXYA8
— Yoshimichi SOEJIMA (@gutweg_soejima) 2014, 4月 24
5.詳細
■ 基本情報
- ・名称: 角宮神社
- ・住所: 長岡京市井ノ内南内畑35
- ・アクセス: 阪急京都線「西向日市駅」から徒歩約20分
- ・参考サイトURL:http://www.kyotofukoh.jp/report678.html
元々は一つだった、神様が同じだ、社格が上だ下だ、なんとも人間臭いというか、昔も今もこんな言い争いが続いていたなんて、ちょっとびっくりしつつ親しみを覚えてしまいます。