永平寺は福井県吉田郡の永平寺町にあり、福井県の人気観光スポットの1つとなっている曹洞宗の大本山です。
永平寺は1244年に開山された曹洞宗の大本山です。宗祖は道元禅師です。禅のお寺というと座禅の修業が一般的で、聞いたことがある方も多いと思います。他ではできないような、本格的な禅宗の文化を肌で感じてみたい方!ここでは起きてから眠るまでの、暮らしそのものが修業として捉えられているんです。そのため訪れた人は、参拝、食事、宿と一日をとおして体験できます。また、周囲にもたくさんの観光スポットがあるので、まとめ20選をご紹介してまいります。
道元禅師が開山した頃の永平寺は、この地方の豪族波多野氏の支援を受けていました。そのため「道場」としての機能は充実し、多くの修行僧が学んでいたようです。道元禅師亡きあとは、2世孤雲懐奘や3世徹通義介のもとで整備が進められていきました。
しかし4世義演の晋住後は、波多野氏の援助も弱まり寺勢は急激に衰えていくことになります。一時は廃寺同然まで衰微したとも言われています。そんな中、5世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めていきます。暦応3年(1340年)には、兵火で伽藍は焼失となります。
応仁の乱の文明5年(1473年)でも焼失します。その後も度々火災に見舞われることになります。したがって、現存の諸堂は全て近世以降のものです。応安5年(1372年)、後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額と綸旨を受け、元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され總持寺と並び大本山となります。
現在でも曹洞宗の道場、修業の場であると同時に多くの観光客の訪れる場ともなっています。禅の道に興味をもった多くの外国からの修業者も訪れています。
ちなみに、もし体験修行を希望される場合は、希望日の10日前までに電話で予約する必要があります。一泊二日なら8000円程度、三泊四日なら12000円程度のお値段です。修行は座禅に読経、作務といったもので、朝から晩まで実施します。特に禅宗の厳しさが知りたいという方には良い体験修行になるでしょう。由緒あるお寺ですが、こうした人々との関わりも積極的に持たれているのですね。
すかさず道元禅師が、「では、涼しくなってからなさったら…」と続けると、「さらにいずれの時をか待たん(今やらなくて椎茸をいつ干すのか…)」と返しました。これを聞いた道元禅師は、修行とはどういうことか、生きるとはいかなることかがハッキリ見えてきたという逸話の場面です。
永平寺を開山した曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれています。幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入いります。
しかし道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があったと伝えられています。道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思っていました。
しかし、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていました。 比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)に建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事します。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られませんでした。
真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考え、師の明全も同じ考えであったため、師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋することになります。 道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、ただひたすら修行しました。
如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けています。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国しました。なお、一緒に渡宋した明全は現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかったのです。
日本へ戻った道元は初めは建仁寺に住し、その後は深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して、説法と著述に励んでいました。しかし、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭うことになります。
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになります。
当初、義重は道元を吉峰寺へ招きました。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごしますが、吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺を建立すします。これが永平寺の開創となります。
寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めています。 寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からとっています。意味は「永久の和平」ということになります。
1247年には時の執権であった北条時頼が道元を特別に要請され、波多野義重も勧めた為、半年ほど鎌倉に赴いています。短い時間ではありましたが、その際に多くの武士、そしてその他の人々に教えを説いたと言います。1252年になると体調がすぐれなくなり、永平寺を懐奘禅師に譲って後、療養生活に入ります。しかし1253年に54歳で入寂しています。
参拝はお堂や伽藍を観て回るだけのものもありますが、お寺での参禅(座禅を組む)や写経(経典を書き写す)などの体験もあります。禅の道では「悟る」ということがよく言われますが、実際には、このような体験を通して静かに自分を見つめる時間と言えるのでしょう。
現在の写経のほとんどは、お手本を下敷きにして、うっすら映るお手本をなぞるようにして書くのが一般的です。したがって初心者でも間違いなく写経できます。お寺を拝観するだけよりも、もっと身近に感じられる良い機会となります。
また、参禅は早朝に行われることが多いので、日の出の早い夏場がおすすめです。夏の朝の清々しさを感じながら、心静かに座禅を組めば癒しの世界に入れるかも知れません。
朝一で永平寺に参拝するとなると、まだ深夜のうちに車で行くか、あるいは近くに宿泊することにもなるでしょう。参道のお土産屋さんは、宿泊施設を兼務している事が多く、予約さえしておけば泊まることもできます。突然泊まりたい、といっても難しいでしょうね。この参道のいずれかに泊まっておけば、永平寺までは5分程度で辿りつけます。
両手を合わせることにより、仏と一体になることや仏への帰依を表現しています。他人に向かって合掌をすることは、相手に尊敬の念をあらわすことです。両手のひらを合わせてしっかりと指を揃えます。指の先を鼻の高さに揃え、鼻から約10cm離します。肘を軽く張り肩の力は抜くようにすれば形がそろいます。
両手の指がぴったり合っていると、見た目にも心のバランスが取れているように見えますね。指は横に倒したり下に向けたりというはせず、自然と上を向くようにしてください。礼拝の最初に行うのがこの合掌の作法です。また合掌は、地獄や餓鬼、畜生、人間、修羅、天上、声門、緑覚、菩薩、仏という風に10界が一つになる姿とも言われています。
坐蒲(ざふ)をもっているときは、必ず両手で持ちます。坐禅堂に入ったらいったん立ち止まります。聖僧(しょうそう)に合掌し頭を下げます。また叉手に戻し、右足から進んで自分の座る位置にいきます。
堂内においては聖僧の前は横切ることはせず、後を通るようにするのを忘れないでください。又手はもともと禅林における礼法であり、本来は古代中国で一般的に使われている礼儀作法でしたが、それが禅の行礼になったといいます。身分の高い人に会う際には、両の手に武具を持っていないことを示すために、手を組んだそうですが、それによって目上の人に対する礼法として定着したとも思えます。
力が入り過ぎて親指がくっつきすぎたり、上の方に沿ったり、だれて下がってしまってはいけません。座禅を組んでみますと、この法界定印の形を保ち続けるのが難しいことに気が付きます。
眠くなってきた場合など、だんだんと指が離れて行ってしまうのに気づくでしょう。また気持ちが散漫な状態になると、なんとなく形が崩れてくることもあります。目をつぶって座っている状態は、傍目からは同じようでも、心の状態がどうなっているかが分かる組み方になっています。とはいえ、あまり肩に力を入れず、集中すれば問題ありません。
また修行僧は、畳一畳の上で寝起きから食事に至る全ての生活を行うそうです。畳一畳といえば、部屋の中では最小のスペースです。その中での暮らし(修業)ですから、如何にも合理的な暮らしが要求されているかが分かります。
この建物は地下1階、および地上4階建ての建物で、920坪の建坪があります。全国に800万人と言われる檀信徒における研修道場としての機能をもたせるために、昭和46年に作り上げられました。2Fには大講堂があり、さらに食事のできる応供台も設置しています。大講堂の広さは200畳の広さで、こちらで皆で坐禅をしたり、法話を聴いたりします。
2階は156畳敷きの大広間で、1930年(昭和5年)建築当時の天井絵を修復し、はめ込んであります。この大広間は別名「天井絵の大広間」と呼ばれていて、花や鳥などを描いた230枚の絵があります。昭和5年当時の著名な画家144名によるものです。
その当時の文展や帝展に入選した画家たちの絵ですが、それが天井にずらりと並べられているのは壮観ですね。大広間の一番正面には、厳格な仏教僧として知られた曹洞宗大本山永平寺第78世貫首の筆による「傘松閣」という額が掲載されています。ちなみにかつての傘松閣は、永平寺町の資料館に移転されており、そこで復元作業を受けています。
永平寺の七堂伽藍は鎌倉時代の中頃から、急斜面を開いて少しずつ築かれたようです。一般的に禅宗建築では、山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす)を七堂伽藍と呼んでいます。
それぞれが役割を持ち、それら全てが修行の場となります。食事も入浴も、トイレも、寝る事すらも修行です。伽藍という場所は、古代インドにおけるサンガーラーマが起源と言われ、比丘たちがそこに集まって修行を行う、とても清浄なる場所でした。それが寺院における建物で、修行の場になっています。かつて中国の宋の時代に禅宗が盛んになった際、日本に伝えられた時に伽藍の仕組みも取り入れられています。
奥の本殿は1981年(昭和56年)に改修されたもので、中央に御開山道元禅師の御尊像と御霊骨を安置し、左右に2代から5世までの御尊像を祀っています。階段下の拝殿には6世以降の永平寺歴代住職の位牌、波多野義重公の御尊像や道元禅師生家である久我家の位牌、全国の曹洞宗寺院住職の位牌もあります。
何度も火災などによって遷された建物であり、明治の12年にも火災が起こった時には、法堂の隣にあったといいます。拝殿を入ったところには、久我道久が揮毫した「承陽殿」という額がかけられています。また、内部には、かつて明治天皇より下賜(かし)されたという「承陽」と書かれた勅額が掲げてあります。様々な歴史を経て、今に在る建物と言えますね。
参籠中は、原則として外には出られません。また、境内地での喫煙、飲酒行為は堅く禁止となっています。通常の参拝入口にもその事が書かれています。
手続きとしては、参籠申請が受けつけられて、入山日時などが決まります。そして入山。滞在中の作法やスケジュールの流れが説明されます。「三進退(さんしんたい)」について、これは基本的な三つの作法で、合掌・叉手(しゃしゅ)・法界定印(ほっかいじょういん)のことです。
お坊さんからの一通りの説明が終わると、お風呂に案内されます。中では言葉を発しないよう、静かにお風呂に入らなければなりません。あるのは石鹸のみです。ここはやはり修行道場ですので、身体を洗うのも最低限にということになります。
身を清めた後に、17時30分には薬石(夕食)が始まります。ニューは、ご飯、豆腐となめこや三つ葉の味噌汁、胡麻豆腐、きんぴらごぼう、ししとうとナスの素揚げ、人参と昆布や大根の酢の物、しいたけと人参やこんにゃく、さやえんどう、がんもどきの煮物、たくあん、バナナ、あじろ昆布、お饅頭などです。
食事が終わると19時から座禅。座禅の後は、永平寺を紹介したビデオを視聴します。ビデオ視聴の後は、21時に消灯となります。部屋はもちろん廊下も暗くなります。
一般の宿坊体験は午前4時10分起床です。ちなみにこれは冬時間で、夏はさらに起床時刻が一時間早くなります。その後、着替えて布団をたたみ、4時30分に廊下に集合します。みんなで並んで禅堂へと向かいます。座禅は鐘の音と大太鼓で開始し、他のお坊さんとも一緒に朝の座禅を行います。
座禅が終わった後は朝課(朝のお勤め)に移ります。冬場は寒いので、服を着込んでから廊下に集合します。朝のお勤めは大勢のお坊さんが一斉に集まり、法要を行います。須弥壇(しゅみだん)中央には藤原時代作の聖観世音菩薩が祀られ、お勤めの最初に厨子が開かれます。
鐘の音が鳴り響き、お勤めが始まります。大きな木魚を叩きながら、お坊さん達が一斉に唱える般若心経は迫力があります。途中でお焼香。お坊さんの案内でまずは立ち上がって合掌し、宿泊者一人一人順番に前に出て行います。その後、お勤めの中で宿泊者の名前も読み上げられて先祖代々のご供養も祈られます。
朝課の後は散策。そして部屋に戻ると朝食です。メニューは、ご飯、梅干し、漬物、味噌汁(わかめ・油揚げ・豆腐)、とろろ、こぶ、お麩のしぐれ煮、ニンジン・さやえんどう・高野豆腐・お麩、もやし・きのこ・にんじん・油揚げのお浸しなどです。
朝食をとった後は、部屋に戻り帰り(下山)の準備です。自分で使ったものはきちんともとに戻します。午前9時が下山時刻となります。これが一泊二日の宿坊体験の流れです。
お坊さんたちの読経の中を、宿泊者はお焼香に向かいます。お焼香をした人たちは名前を読み上げられます。団体で参加すると 代表者だけが名前を呼ばれ、他何名という紹介です。ひとり参加だとちゃんと自分の名前が呼ばれます。
朝課だけでも体験できる場合があります。朝課は夏は5時から、春と秋は五時半から、冬は六時からです。したがって、参道内の宿泊施設に泊まり、朝課の時間前に参拝すると朝課に参加できます。
宿泊すれば、普段では経験の出来ない永平寺の朝課へも参加が可能です。お料理は精進料理の他に、ソースかつ丼やおろし蕎麦などもあります。暑い夏場はソフトクリームも扱っています。
永平寺まで歩いて3分ですから、永平寺の朝のお勤めの体験もできます。もちろん、参拝後のお食事や買い物などにもおすすめです。お土産の包装紙は道元禅師の歌をプリントしてあるオリジナルです。こちらも人気です。
北陸自動車道福井北I.Cから・・12分
大阪から(高速道路経由)・・3時間30分
金沢から(高速道路経由)・・1時間30分
福井市街から・・・・・・・・40分
こちらでも蕎麦が人気です。なかでも山菜蕎麦は好評です。お食事代によっては駐車料金が無料になるサービスもあります。車での参拝の方にはおすすめです。
昭和5年から営業している老舗旅館で、観光客の方はもちろん、各地から永平寺に上山する修行僧の宿としても利用されています。1階の食事処で味わえる卵とじ「カツ丼」は、ここに泊まった雲水たちが上山、下山の際に必ず食べるという縁起物だそうです。
お食事処とお土産屋さんでもありますが、宿泊施設でもあります。大きな施設ですから、団体で永平寺参拝や朝課体験を計画されている方にはおすすめのお宿です。
お店から見える永平寺の里山の景色を楽しみながらいただくお蕎麦が自慢になっています。福井名物おろしそばを始め、福井名物ソースかつ丼など丼物やうどん等も人気となっています。その日に使う分だけ仕込み、お出し汁は作り置きはしないのもこだわりです。
また「精進会席 慧心(えしん)」は、前日までに予約が必要ですがこちらも人気です。永平寺門前ならではの精進料理です。詳しくは公式サイトに載っています。
麩饅頭も外せません。しっかりした触感で美味しいと評判です。お蕎麦も永平寺で味わうので、名物と言われるように旨味を堪能できます。
昭和5年に創業ですから老舗でもあります。1階はお土産処と座敷の食事処、1階には最大50名収容の座敷があり、ゆっくりと食事や休憩が楽しめます。お土産処では羽二重餅や永平寺そば、ごまどうふ、禅みそなどが人気です。
東京から東海道新幹線・特急(米原経由)を使って福井駅へ。北陸新幹線・特急(金沢経由)を使うことも可能です。大阪からは特急(湖西線)を使って福井駅へ。名古屋から特急で福井駅へ。福井駅より永平寺行き直行バスで30分が一般的です。
【車を利用】
東京から東名高速、名神高速、北陸道で福井北I.C.へ。大阪から名神高速、北陸道で福井北I.C.へ。名古屋から名神高速、北陸道で福井北I.C.へ。福井北I.C.からは15分。
【 飛行機を利用】
東京から羽田空港から小松空港へ。連絡バスを使い、福井駅東口へ。福井駅より永平寺行き直行バスで30分。
見学するには3つのコースがあります。都合に合わせて90分のじっくりコース、60分の満足コース、そして30分のらくらくコ―ス。またガイドを希望すると1時間20分のコースだそうですよ。
昔、博物館で1体の大きな恐竜骨格に感動したものですが、40体以上もあるとは圧巻ですね。お子さんの喜びそうな恐竜博物館へぜひご家族で行ってみてはいかがでしょう。
城の内部は資料館として活用され、土井氏の遺品などが展示されていますよ。天守に登って、越前の城下町を一望すれば、当時の殿様の見た景色を体験できますね。
また、ミュージアムショップでは産地ならではの特別価格で漆器製品を提供しているとか。体験もありますよ~。
750年もの伝統をぜひ絶やさず受け継いでいってもらいたいものですね。能面の魅力とは、見る人や角度によって表情が変わって見えること。奥深いですね。能面打ち教室もあるようですよ。(要問合せ)
ほとんどが山稜などに作られていて実際に古墳の形や大きさを感じることはなかなかないようですね。松岡公園から登り口があるそうです。古墳に登れば景色が開けて坂井平野から日本海まで望めるとか。
木々に囲まれ、厳かな雰囲気の吉峰寺です。吉峰寺~永平寺までの三里半の道は、道元禅師や仏心老大和尚などが通られた「祖跡コース」となっているそうですよ。
天龍寺では座禅の修業を志すすべての人を歓迎。経験、性別、年齢、国籍、宗教を問わず、長期間短期間いずれの参禅もOK。懐ふか~いですね。参拝希望者は必ず電話、FAX、メール、郵便で連絡が必要。
また、銀杏も自慢です。秋には境内が銀杏の落ち葉で絨毯のようになるそうですよ。庭園の花々も四季折々に咲き、訪れる人を楽しませてくれています。また、仏教博物館「華の蔵」が隣接しています。
そして高度経済成長で日本の暮らしが大きく変わった昭和30年代後半~昭和40年代の村や町の暮らしを再現した「昭和のくらしコーナー」も面白そうですよ。
永平寺のご紹介はいかがでしたか?曹洞宗の道場、修業の場である歴史と伝統のあるこの場所で僧侶さんの暮らしを体験できるなんて魅力的すぎますよね。難しいことはありません、外国から訪れる観光客も多く、はじめてでも安心して参加することができます。次のお休みは一泊二日で足を運んで、自分を見つめなおす静かな時間をすごしてみてはいかがでしょうか?
また、永平寺だけでも見どころ満載ですが、周辺グルメや宿をはじめ、たくさんの観光スポットもあるので、せっかく永平寺に行ったならあれこれ見て回りたいものですね。伝統芸能、伝統工芸など日本の美を伝えるところや、古墳群、由緒ある寺院などどれも行ってみたいところばかりです。旅の参考にしてみて下さいね。
素材提供:トリップアドバイザー
永平寺は1244年に開山された曹洞宗の大本山です。宗祖は道元禅師です。禅のお寺というと座禅の修業が一般的で、聞いたことがある方も多いと思います。他ではできないような、本格的な禅宗の文化を肌で感じてみたい方!ここでは起きてから眠るまでの、暮らしそのものが修業として捉えられているんです。そのため訪れた人は、参拝、食事、宿と一日をとおして体験できます。また、周囲にもたくさんの観光スポットがあるので、まとめ20選をご紹介してまいります。
永平寺とは?
http://ryokou1988.blog93.fc2.com/blog-entry-94.html
永平寺は、福井県にある曹洞宗の寺院です。横浜にある總持寺と並んで日本の曹洞宗の大本山となっています。山号は吉祥山。寺紋は久我山竜胆紋です。この永平寺を開いたのは道元禅師です。御本尊は釈迦如来と弥勒仏、阿弥陀如来の三世仏です。道元禅師が開山した頃の永平寺は、この地方の豪族波多野氏の支援を受けていました。そのため「道場」としての機能は充実し、多くの修行僧が学んでいたようです。道元禅師亡きあとは、2世孤雲懐奘や3世徹通義介のもとで整備が進められていきました。
しかし4世義演の晋住後は、波多野氏の援助も弱まり寺勢は急激に衰えていくことになります。一時は廃寺同然まで衰微したとも言われています。そんな中、5世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めていきます。暦応3年(1340年)には、兵火で伽藍は焼失となります。
応仁の乱の文明5年(1473年)でも焼失します。その後も度々火災に見舞われることになります。したがって、現存の諸堂は全て近世以降のものです。応安5年(1372年)、後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額と綸旨を受け、元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され總持寺と並び大本山となります。
現在でも曹洞宗の道場、修業の場であると同時に多くの観光客の訪れる場ともなっています。禅の道に興味をもった多くの外国からの修業者も訪れています。
ちなみに、もし体験修行を希望される場合は、希望日の10日前までに電話で予約する必要があります。一泊二日なら8000円程度、三泊四日なら12000円程度のお値段です。修行は座禅に読経、作務といったもので、朝から晩まで実施します。特に禅宗の厳しさが知りたいという方には良い体験修行になるでしょう。由緒あるお寺ですが、こうした人々との関わりも積極的に持たれているのですね。
■ 基本情報
- ・名称:永平寺
- ・住所:永平寺町志比5-15
- ・アクセス:●福井駅東口から京福バス「特急永平寺ライナー」で直通約30分
- ●えちぜん鉄道福井駅から勝山永平寺線で「永平寺口駅」下車
- 京福バス「永平寺門前行」または「永平寺行」に乗り換え終点下車徒歩5分
- ●北陸自動車道福井北ICから車で15分
- ・参拝時間:5月から10月までは午前四時から午後五時までです。
- 11月から4月までは午前五時~午後四時半
- ・電話番号:0776-63-3102 大本山永平寺 総受処
- ・料金:中学生以上 500円 小学生 200円 団体割引なし
- 障がいのある方手帳提示にて200円
- 参禅1名 拝観料+1000円
- 写経1名 拝観料+1000円
- ※参禅、写経は行事などでできない場合もあります。
永平寺の開祖 道元禅師
http://asao-shimin.net/4209309.html
写真の場面は、年老いた台所を司る典座和尚が真夏の炎天下で椎茸を干しています。傘もかぶらず杖をつき、汗をかきながら辛そうな様子です。そこで、道元禅師が、「他の者にやらせたらどうか」と声をかけると、典座和尚「他はこれ吾にあらず(ほかの者に頼んだら私の修行にならない)」と返答します。すかさず道元禅師が、「では、涼しくなってからなさったら…」と続けると、「さらにいずれの時をか待たん(今やらなくて椎茸をいつ干すのか…)」と返しました。これを聞いた道元禅師は、修行とはどういうことか、生きるとはいかなることかがハッキリ見えてきたという逸話の場面です。
永平寺を開山した曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれています。幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入いります。
しかし道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があったと伝えられています。道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思っていました。
しかし、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていました。 比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)に建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事します。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られませんでした。
真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考え、師の明全も同じ考えであったため、師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋することになります。 道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、ただひたすら修行しました。
如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けています。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国しました。なお、一緒に渡宋した明全は現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかったのです。
日本へ戻った道元は初めは建仁寺に住し、その後は深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して、説法と著述に励んでいました。しかし、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭うことになります。
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになります。
当初、義重は道元を吉峰寺へ招きました。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごしますが、吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺を建立すします。これが永平寺の開創となります。
寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めています。 寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からとっています。意味は「永久の和平」ということになります。
1247年には時の執権であった北条時頼が道元を特別に要請され、波多野義重も勧めた為、半年ほど鎌倉に赴いています。短い時間ではありましたが、その際に多くの武士、そしてその他の人々に教えを説いたと言います。1252年になると体調がすぐれなくなり、永平寺を懐奘禅師に譲って後、療養生活に入ります。しかし1253年に54歳で入寂しています。
参拝時間は何時~何時まで?
http://shikoku.misawa.co.jp/br_takamatsu/2012/07/post-74.html
永平寺の参拝時間は、5月から10月までは午前四時から午後五時までです。冬場になる11月から4月までは午前五時~午後四時半までとなっています。参拝はお堂や伽藍を観て回るだけのものもありますが、お寺での参禅(座禅を組む)や写経(経典を書き写す)などの体験もあります。禅の道では「悟る」ということがよく言われますが、実際には、このような体験を通して静かに自分を見つめる時間と言えるのでしょう。
現在の写経のほとんどは、お手本を下敷きにして、うっすら映るお手本をなぞるようにして書くのが一般的です。したがって初心者でも間違いなく写経できます。お寺を拝観するだけよりも、もっと身近に感じられる良い機会となります。
また、参禅は早朝に行われることが多いので、日の出の早い夏場がおすすめです。夏の朝の清々しさを感じながら、心静かに座禅を組めば癒しの世界に入れるかも知れません。
朝一で永平寺に参拝するとなると、まだ深夜のうちに車で行くか、あるいは近くに宿泊することにもなるでしょう。参道のお土産屋さんは、宿泊施設を兼務している事が多く、予約さえしておけば泊まることもできます。突然泊まりたい、といっても難しいでしょうね。この参道のいずれかに泊まっておけば、永平寺までは5分程度で辿りつけます。
行く前に覚えるべき3つの所作
合掌(がっしょう)
合掌は、両手を事前のままに広げ合わせる仕草です。インド発祥のものです。右手は仏を表し、清らかなものや知恵を意味しています。左手は衆生、つまり自分自身です。不浄さを持ってはいるが行動力の象徴でもあります。両手を合わせることにより、仏と一体になることや仏への帰依を表現しています。他人に向かって合掌をすることは、相手に尊敬の念をあらわすことです。両手のひらを合わせてしっかりと指を揃えます。指の先を鼻の高さに揃え、鼻から約10cm離します。肘を軽く張り肩の力は抜くようにすれば形がそろいます。
両手の指がぴったり合っていると、見た目にも心のバランスが取れているように見えますね。指は横に倒したり下に向けたりというはせず、自然と上を向くようにしてください。礼拝の最初に行うのがこの合掌の作法です。また合掌は、地獄や餓鬼、畜生、人間、修羅、天上、声門、緑覚、菩薩、仏という風に10界が一つになる姿とも言われています。
叉手(しゃしゅ)
叉手は、立っている時、歩く時の手の作法のことです。左指の親指を中にして拳を作り、これを胸に軽く当てて右手のひらでこれを覆います。座禅堂などに入る時などは、手は叉手にして入ります。この時、入口の左側の柱の側を左足から進めます。坐蒲(ざふ)をもっているときは、必ず両手で持ちます。坐禅堂に入ったらいったん立ち止まります。聖僧(しょうそう)に合掌し頭を下げます。また叉手に戻し、右足から進んで自分の座る位置にいきます。
堂内においては聖僧の前は横切ることはせず、後を通るようにするのを忘れないでください。又手はもともと禅林における礼法であり、本来は古代中国で一般的に使われている礼儀作法でしたが、それが禅の行礼になったといいます。身分の高い人に会う際には、両の手に武具を持っていないことを示すために、手を組んだそうですが、それによって目上の人に対する礼法として定着したとも思えます。
法界定印(ほっかいじょういん)
法界定印の手の形は、4本指を揃えて重ね、親指の先が軽く触れるようにくっつけます。親指は一直線になるか緩やかな楕円になるようにします。 法界定印の形には、その人の心のありようが映し出されると言われています。力が入り過ぎて親指がくっつきすぎたり、上の方に沿ったり、だれて下がってしまってはいけません。座禅を組んでみますと、この法界定印の形を保ち続けるのが難しいことに気が付きます。
眠くなってきた場合など、だんだんと指が離れて行ってしまうのに気づくでしょう。また気持ちが散漫な状態になると、なんとなく形が崩れてくることもあります。目をつぶって座っている状態は、傍目からは同じようでも、心の状態がどうなっているかが分かる組み方になっています。とはいえ、あまり肩に力を入れず、集中すれば問題ありません。
永平寺の見どころ
https://geolocation.ws/v/P/87637966/zen-templeeihei-ji/en
※写真は、承陽殿です。一般参拝者向け「吉祥閣」
吉祥閣( きちじょうかく)は、永平寺を訪れて最初に入る建物です。吉祥閣に入ると、まずは広々した畳敷きの部屋に案内されます。この部屋で修行僧から永平寺の概要、参拝中の注意事項等の説明を受けることになります。修行僧によれば、いくつかの伽藍内では僧侶間の会話は禁止されています。また修行僧は、畳一畳の上で寝起きから食事に至る全ての生活を行うそうです。畳一畳といえば、部屋の中では最小のスペースです。その中での暮らし(修業)ですから、如何にも合理的な暮らしが要求されているかが分かります。
この建物は地下1階、および地上4階建ての建物で、920坪の建坪があります。全国に800万人と言われる檀信徒における研修道場としての機能をもたせるために、昭和46年に作り上げられました。2Fには大講堂があり、さらに食事のできる応供台も設置しています。大講堂の広さは200畳の広さで、こちらで皆で坐禅をしたり、法話を聴いたりします。
「傘松閣」
傘松閣(さんしょうかく)は、道元禅師の750回大遠忌の記念事業の一つととして、1993年(平成5年)から2年の歳月をかけて再建されました。1階は参拝の方々のための控室や研修・宿泊のための部屋となっています。2階は156畳敷きの大広間で、1930年(昭和5年)建築当時の天井絵を修復し、はめ込んであります。この大広間は別名「天井絵の大広間」と呼ばれていて、花や鳥などを描いた230枚の絵があります。昭和5年当時の著名な画家144名によるものです。
その当時の文展や帝展に入選した画家たちの絵ですが、それが天井にずらりと並べられているのは壮観ですね。大広間の一番正面には、厳格な仏教僧として知られた曹洞宗大本山永平寺第78世貫首の筆による「傘松閣」という額が掲載されています。ちなみにかつての傘松閣は、永平寺町の資料館に移転されており、そこで復元作業を受けています。
座禅を組む人の姿に模した「七堂伽藍」
七堂伽藍は、永平寺のこの霊域(れいいき)に70余棟の諸堂が建立されていますが、この諸堂の中でも特に七つの堂宇は「七堂伽藍」と称されています。この七堂伽藍は、日常の修行に欠かすことの出来ない重要な建物となっています。永平寺の七堂伽藍は鎌倉時代の中頃から、急斜面を開いて少しずつ築かれたようです。一般的に禅宗建築では、山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす)を七堂伽藍と呼んでいます。
それぞれが役割を持ち、それら全てが修行の場となります。食事も入浴も、トイレも、寝る事すらも修行です。伽藍という場所は、古代インドにおけるサンガーラーマが起源と言われ、比丘たちがそこに集まって修行を行う、とても清浄なる場所でした。それが寺院における建物で、修行の場になっています。かつて中国の宋の時代に禅宗が盛んになった際、日本に伝えられた時に伽藍の仕組みも取り入れられています。
道元禅師の御真廊「承陽殿」
承陽殿(しょうようでん)は、道元禅師の御真廟です。言い換えるとお墓にあたり、1881年(明治14年)に改装されています。日本曹洞宗の発祥の根源であり、曹洞宗の聖地ともいえる場所です。奥の本殿は1981年(昭和56年)に改修されたもので、中央に御開山道元禅師の御尊像と御霊骨を安置し、左右に2代から5世までの御尊像を祀っています。階段下の拝殿には6世以降の永平寺歴代住職の位牌、波多野義重公の御尊像や道元禅師生家である久我家の位牌、全国の曹洞宗寺院住職の位牌もあります。
何度も火災などによって遷された建物であり、明治の12年にも火災が起こった時には、法堂の隣にあったといいます。拝殿を入ったところには、久我道久が揮毫した「承陽殿」という額がかけられています。また、内部には、かつて明治天皇より下賜(かし)されたという「承陽」と書かれた勅額が掲げてあります。様々な歴史を経て、今に在る建物と言えますね。
永平寺で宿坊体験
http://ja9lsz.at.webry.info/200706/article_10.html
永平寺で宿坊体験は、永平寺の修行生活に触れることにより、各々の信仰を深めていただくことを目的としてあります。それゆえ旅館、ホテルなどの宿泊とは異なります。到着後は、永平寺の定めた日程に従って行動することになります。参籠中は、原則として外には出られません。また、境内地での喫煙、飲酒行為は堅く禁止となっています。通常の参拝入口にもその事が書かれています。
手続きとしては、参籠申請が受けつけられて、入山日時などが決まります。そして入山。滞在中の作法やスケジュールの流れが説明されます。「三進退(さんしんたい)」について、これは基本的な三つの作法で、合掌・叉手(しゃしゅ)・法界定印(ほっかいじょういん)のことです。
お坊さんからの一通りの説明が終わると、お風呂に案内されます。中では言葉を発しないよう、静かにお風呂に入らなければなりません。あるのは石鹸のみです。ここはやはり修行道場ですので、身体を洗うのも最低限にということになります。
身を清めた後に、17時30分には薬石(夕食)が始まります。ニューは、ご飯、豆腐となめこや三つ葉の味噌汁、胡麻豆腐、きんぴらごぼう、ししとうとナスの素揚げ、人参と昆布や大根の酢の物、しいたけと人参やこんにゃく、さやえんどう、がんもどきの煮物、たくあん、バナナ、あじろ昆布、お饅頭などです。
食事が終わると19時から座禅。座禅の後は、永平寺を紹介したビデオを視聴します。ビデオ視聴の後は、21時に消灯となります。部屋はもちろん廊下も暗くなります。
一般の宿坊体験は午前4時10分起床です。ちなみにこれは冬時間で、夏はさらに起床時刻が一時間早くなります。その後、着替えて布団をたたみ、4時30分に廊下に集合します。みんなで並んで禅堂へと向かいます。座禅は鐘の音と大太鼓で開始し、他のお坊さんとも一緒に朝の座禅を行います。
座禅が終わった後は朝課(朝のお勤め)に移ります。冬場は寒いので、服を着込んでから廊下に集合します。朝のお勤めは大勢のお坊さんが一斉に集まり、法要を行います。須弥壇(しゅみだん)中央には藤原時代作の聖観世音菩薩が祀られ、お勤めの最初に厨子が開かれます。
鐘の音が鳴り響き、お勤めが始まります。大きな木魚を叩きながら、お坊さん達が一斉に唱える般若心経は迫力があります。途中でお焼香。お坊さんの案内でまずは立ち上がって合掌し、宿泊者一人一人順番に前に出て行います。その後、お勤めの中で宿泊者の名前も読み上げられて先祖代々のご供養も祈られます。
朝課の後は散策。そして部屋に戻ると朝食です。メニューは、ご飯、梅干し、漬物、味噌汁(わかめ・油揚げ・豆腐)、とろろ、こぶ、お麩のしぐれ煮、ニンジン・さやえんどう・高野豆腐・お麩、もやし・きのこ・にんじん・油揚げのお浸しなどです。
朝食をとった後は、部屋に戻り帰り(下山)の準備です。自分で使ったものはきちんともとに戻します。午前9時が下山時刻となります。これが一泊二日の宿坊体験の流れです。
永平寺の朝のお勤め(朝課)を体験
http://blogs.yahoo.co.jp/nori_tabi/13406664.html
朝課とは朝のお勤めのことです。どの宗派にとっても、朝のお勤めはとても大切なものです。宿泊者たちも身支度を整え、法堂に案内されます。案内された場所に座ると、鐘の音とともに100人以上のお坊さんによる読経が始まります。厳かで、迫力のあるものです。お坊さんたちの読経の中を、宿泊者はお焼香に向かいます。お焼香をした人たちは名前を読み上げられます。団体で参加すると 代表者だけが名前を呼ばれ、他何名という紹介です。ひとり参加だとちゃんと自分の名前が呼ばれます。
朝課だけでも体験できる場合があります。朝課は夏は5時から、春と秋は五時半から、冬は六時からです。したがって、参道内の宿泊施設に泊まり、朝課の時間前に参拝すると朝課に参加できます。
参道内の宿泊可能な施設
http://blog.livedoor.jp/gourmet1/archives/52127790.html
井の上
井の上さんは、永平寺の門前にある旅館です。食堂も兼ねて経営されています。永平寺流の精進料理や名物の永平寺そば、四季それぞれのメニューが人気となっています。個室も多いので、県外から来たお客さんにとってもおすすめです。多くの人で賑わいますので、予約が必要です。宿泊すれば、普段では経験の出来ない永平寺の朝課へも参加が可能です。お料理は精進料理の他に、ソースかつ丼やおろし蕎麦などもあります。暑い夏場はソフトクリームも扱っています。
■ 基本情報
- ・名称:井の上
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町門前28-8
- ・アクセス:福井駅より永平寺行き直行バスで30分
- 下車して目の前すぐ
- 福井北ICより車で15分
- ※井の上から永平寺までは徒歩5分
- ・営業時間:食事 8:30~17:00(11月~3月は16:30)
- 宿泊 チェックイン14:30 チェックアウト10:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0776-63-3333(代)
- ・料金:食事 [昼]¥1,000~¥1,999
- 宿泊 1泊2食付(税込)2名利用時の1名:8,400円〜
- ・公式サイトURL:http://www.eiheiji-inoue.co.jp/
レストラン かいど
「レストラン かいど」さんも、永平寺門前にあるお食事処であり、宿泊もできます。お土産も充実して、連日のように賑わいをみせています。こちらはお蕎麦メニューが豊富です、なかでも、「そば三昧定食」は人気となっています。永平寺まで歩いて3分ですから、永平寺の朝のお勤めの体験もできます。もちろん、参拝後のお食事や買い物などにもおすすめです。お土産の包装紙は道元禅師の歌をプリントしてあるオリジナルです。こちらも人気です。
■ 基本情報
- ・名称:レストラン かいど
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町志比28-1
- ・アクセス:JR福井駅前⑤のりばから直通バスがあります。
- またはえちぜん鉄道勝山線に乗り換え、永平寺口駅下車
- 永平寺行きのバスをご利用ください。
北陸自動車道福井北I.Cから・・12分
大阪から(高速道路経由)・・3時間30分
金沢から(高速道路経由)・・1時間30分
福井市街から・・・・・・・・40分
- ・営業時間:8:30〜17:00(12月〜2月は9:00〜16:00)
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0776-63-3380
- ・料金:レストランかいど特製ソースカツ丼セット、おろしそば他各種そば類、甘えび定食、 精進料理(1,260円〜要予約)
- ※宿泊は電話で予約が必要です。
- ・公式サイトURL:http://www.eiheiji.co.jp/
味の郷土館 田中屋
「味の郷土館 田中屋」さんも、宿泊施設であり、土産物屋でもあり、食事処でもあります。永平寺参拝客向けの有料駐車場も経営されています。お店から永平寺までは門前町を通って3分あまりですから、宿泊すれば永平寺の朝課も体験できます。こちらでも蕎麦が人気です。なかでも山菜蕎麦は好評です。お食事代によっては駐車料金が無料になるサービスもあります。車での参拝の方にはおすすめです。
■ 基本情報
- ・名称:味の郷土館 田中屋
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町志比23-31
- ・アクセス:JR福井駅より車で30分 福井北インターより車で15分
轟駅から3,574m - ・営業時間:9:00~16:00
- ・定休日:不定休
- ・電話番号:0776-63-3320
- ・料金:[昼]¥1,000~¥1,999
- ※宿泊予約はお電話でどうぞ。
- ・公式サイトURL:http://www.shokokai.or.jp/18/183221S0039/index.htm
東喜屋
東喜屋さんも、永平寺の門前にあります。早朝のお勤め体験には最適のお宿です。もちろん、永平寺の目前にあるのでお参りには便利です。1階は土産物屋でお部屋は木の香漂う和室。お食事は旬の幸・山の幸が盛りだくさんです。家庭的なおもてなしとくつろげる雰囲気が魅力の宿です。昭和5年から営業している老舗旅館で、観光客の方はもちろん、各地から永平寺に上山する修行僧の宿としても利用されています。1階の食事処で味わえる卵とじ「カツ丼」は、ここに泊まった雲水たちが上山、下山の際に必ず食べるという縁起物だそうです。
■ 基本情報
- ・名称:東喜屋
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町志比24-6
- ・アクセス:●「福井北」ICより約15分。
- ●JR福井駅より越前鉄道勝山行「永平寺」下車。
- 京福バス「永平寺」下車徒歩3分。
- ・営業時間:チェックイン15:00~ チェックアウト~10:00
- ・電話番号:0776- 63-3699
- ・料金:1泊2食付8,400円〜10,500円
- ・参考サイトURL:http://zen-eiheiji.jp/shop/entry-45.html
ほっきょ荘
ほっきょ荘さんは、鉄筋3階建ての本館・別館からなる大きなお店です。焼き立てを味わえる、11種類の手焼きせんべいが人気となっています。2階、3階の食事スペースは座敷が450名、テーブル席150名と収容人数も抜群で、団体様にもおすすめです。お食事処とお土産屋さんでもありますが、宿泊施設でもあります。大きな施設ですから、団体で永平寺参拝や朝課体験を計画されている方にはおすすめのお宿です。
■ 基本情報
- ・名称:ほっきょ荘
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町志比24-35
- ・アクセス:京福バス永平寺バス停より徒歩5分
- JR福井駅より車で30分
- 高速道路福井北インターより車で10分
- ・営業時間:9:00〜17:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0776-63-3311(代)
- ・料金:精進料理・和風料理1,050円〜、特別料理(カニ一杯付※要予約)2,100円
- ※宿泊については電話でお確かめ下さい。
- ・公式サイトURL:http://www.hokkyoso.info/
食事はココで
http://ukulele-camper58.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/
永平寺の館 雲粋(うんすい)
「永平寺の館 雲粋(うんすい)」さんは、本格手打ちそばが味わえるお店です。こちらのお店のお蕎麦は、福井県産と北海道産、信州産を主に使っています。国産にこだわったメニュー作りにはこだわりがあります。お店から見える永平寺の里山の景色を楽しみながらいただくお蕎麦が自慢になっています。福井名物おろしそばを始め、福井名物ソースかつ丼など丼物やうどん等も人気となっています。その日に使う分だけ仕込み、お出し汁は作り置きはしないのもこだわりです。
■ 基本情報
- ・名称:永平寺の館 雲粋
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町市野々13-38-2
- ・アクセス:北陸自動車道 福井北ICから曹洞宗大本山永平寺への道中にあります。
- ・営業時間:10:00〜17:00(冬季は10:00〜16:00)
- ・定休日:不定休
- ・電話番号:0776-63-1077
- ・公式サイトURL:http://www.unsui.co.jp/
井の上
井の上さんは、宿泊もできるお食事処です。こちらのお店では、永平寺町の名物を一度に味わえるセットが大人気です。「越前そば三味」というメニュー名ですが、天ぷらそば、おろしそば、とろろそば、季節の炊込み御飯、ごまどうふ、禅みそ、香物という内容になっています。また「精進会席 慧心(えしん)」は、前日までに予約が必要ですがこちらも人気です。永平寺門前ならではの精進料理です。詳しくは公式サイトに載っています。
■ 基本情報
- ・名称:井の上
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町門前28-8
- ・アクセス:福井駅より永平寺行き直行バスで30分
- 下車して目の前すぐ
- 福井北ICより車で15分
- ※井の上から永平寺までは徒歩5分
- ・営業時間:8:30~17:00(11月~3月は16:30)
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0776-63-3333(代)
- ・公式サイトURL:http://www.eiheiji-inoue.co.jp/
布善(ぬのぜん)
布善(ぬのぜん)さんは、お土産物屋さんでもありお食事処でもあります。テーブル席とお座敷席があります。メニューはAとBの2コースあります。それぞれのお蕎麦にご飯がついています。おすすめは、ゴマ豆腐には禅味噌をつけて食べるものです。お土産にもなります。麩饅頭も外せません。しっかりした触感で美味しいと評判です。お蕎麦も永平寺で味わうので、名物と言われるように旨味を堪能できます。
■ 基本情報
- ・名称:布善
- ・住所:福井県吉田郡永平寺町市野々39-8-1
- ・アクセス:光明寺駅から2,735m
- ・営業時間:11:00~15:00
- ・定休日:火曜日
- ・電話番号:0776-63-3732
- ・料金:[昼]¥2,000~¥2,999
- ・参考サイトURL:http://zen-eiheiji.jp/shop/entry-46.html
上街堂(かみかいどう)
上街堂(かみかいどう)さんは、永平寺の目の前にありますので参拝にはとても便利です。こちらのお店では、旬の素材を使った精進料理が味わえます。また、ぜんざいや甘酒、冷やしあめ、コーヒーなど、甘味や喫茶メニューも豊富です。昭和5年に創業ですから老舗でもあります。1階はお土産処と座敷の食事処、1階には最大50名収容の座敷があり、ゆっくりと食事や休憩が楽しめます。お土産処では羽二重餅や永平寺そば、ごまどうふ、禅みそなどが人気です。
■ 基本情報
- ・名称:上街堂
- ・住所:永平寺町志比5-15
- ・営業時間:AM9:00〜PM4:30
- ・定休日:水曜日
- ・電話番号:0776-63-3034
- ・料金:精進料理(要予約)1,570円〜2,500円
- ・参考サイトURL:http://zen-eiheiji.jp/shop/entry-41.html
永平寺へのアクセス
http://kankou.town.eiheiji.lg.jp/guide/index.php?pathinfo=access
【JRを利用】東京から東海道新幹線・特急(米原経由)を使って福井駅へ。北陸新幹線・特急(金沢経由)を使うことも可能です。大阪からは特急(湖西線)を使って福井駅へ。名古屋から特急で福井駅へ。福井駅より永平寺行き直行バスで30分が一般的です。
【車を利用】
東京から東名高速、名神高速、北陸道で福井北I.C.へ。大阪から名神高速、北陸道で福井北I.C.へ。名古屋から名神高速、北陸道で福井北I.C.へ。福井北I.C.からは15分。
【 飛行機を利用】
東京から羽田空港から小松空港へ。連絡バスを使い、福井駅東口へ。福井駅より永平寺行き直行バスで30分。
周辺の観光スポットもご紹介
一乗谷朝倉氏遺跡
戦国大名朝倉氏は5代103年にわたり越前を支配しました。朝倉義景は文化人としてもすぐれていたため、一乗谷文化は繁栄したのだとか。館跡、庭園など見どころ満載だそうですよ。当時の街並みがほぼ完全な形で発掘され、特別史跡・特別名勝・重要文化財の三重指定を受けているそうです。見学するには3つのコースがあります。都合に合わせて90分のじっくりコース、60分の満足コース、そして30分のらくらくコ―ス。またガイドを希望すると1時間20分のコースだそうですよ。
■ 基本情報
- ・名称: 一乗谷朝倉氏遺跡
- ・住所: 福井市城戸ノ内町28-37
- ・アクセス: 永平寺から約20分
- ・開館時間: 9:00~17:00
- ・閉館日: 年末年始(臨時休業あり)
- ・電話番号: 0776-41-2330(朝倉氏遺跡保存協会)
- ・公式サイトURL: http://www3.fctv.ne.jp/~asakura/
福井県立恐竜博物館
なぜ福井県に恐竜博物館があるのでしょう。実は、全国で発掘される恐竜化石のうちなんと8割がこの勝山市からのものなんだそうです。なので、その数40体以上の全身骨格の他、標本の数は千数百にも及ぶのだとか。世界3大恐竜博物館の1つに数えられているとは驚きです。昔、博物館で1体の大きな恐竜骨格に感動したものですが、40体以上もあるとは圧巻ですね。お子さんの喜びそうな恐竜博物館へぜひご家族で行ってみてはいかがでしょう。
■ 基本情報
- ・名称: 福井県立恐竜博物館
- ・住所: 勝山市村岡町寺尾51-11
- ・アクセス: 永平寺から約30分 JR福井駅下車、えちぜん鉄道勝山永平寺線「勝山行き」乗車(約1時間)→勝山駅下車、コミュニティバスにて約15分またはタクシーにて約10分JR福井駅にてJR越美北線「越前大野」または「九頭竜湖」行きに乗りかえ→越前大野駅下車→タクシーで約20分
- ・開館時間: 午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
- ・休館日: 第2・4水曜日(祝日の時は翌日が休館、夏休み期間は無休)、年末年始(12月29日から1月2日)ただし、展示替えや施設の点検のため臨時に休館することがあります。
- ・電話番号: 0779-88-0001
- ・料金: (個人)小中260円高大410円一般720円 団体割引、年間パスポートあり
- ・公式サイトURL: http://www.dinosaur.pref.fukui.jp/
越前大野城
築城したのは織田信長の武将であった金森長近。見どころは石垣の積み方。野面積みといわれるもので、自然の石をそのまま積んでいるそうです。廃藩後は城の建造物はとりこわされてしまい、石垣だけが残り、今の天守閣は昭和43年に再建されたものだそうです。石垣だけは当時のままなのですね。城の内部は資料館として活用され、土井氏の遺品などが展示されていますよ。天守に登って、越前の城下町を一望すれば、当時の殿様の見た景色を体験できますね。
■ 基本情報
- ・名称: 越前大野城
- ・住所: 大野市城町3-109
- ・アクセス: 永平寺から約40分
- ・開館時間:(4月~9月) 午前9時~午後5時
- (10月~11月) 午前9時~午後4時
- ・休館日: 12月1日~3月31日 館内整理の期間
- ・電話番号: 0776-66-0234
- ・入館料: 大人200円(団体30名以上100円)、中学生以下無料
- ・公式サイトURL: http://www.city.ono.fukui.jp/page/hakubutsu/shiro/shiro.html
うるしの里会館
日本が誇る伝統工芸品の漆工芸。国の指定を受けた越前漆器のすべてを見学できる施設がこの「うるしの里会館」です。木がベースになっていて、温もりがあり、熱いものを入れても熱さが伝わりにくいので持ちやすく、軽い、そして美しいと何拍子もそろった漆の素晴らしさを再発見してみましょう。職人工房があり、伝統工芸士による実演を見たり、直接職人さんと話すこともできるそうですよ。また、ミュージアムショップでは産地ならではの特別価格で漆器製品を提供しているとか。体験もありますよ~。
■ 基本情報
- ・名称: うるしの里会館
- ・住所:鯖江市西袋町40-1-2
- ・アクセス:永平寺から約40分 JR鯖江駅から車で約20分
JR鯖江駅からコミュニティバス(つつじバス)河和田線で25分 うるしの里会館下車 - ・観覧時間:午前9時~午後5時
- ・休館日: 毎月第4火曜日休館(休館日が祝日の場合は営業し、翌日に休館いたします。)
- ・電話番号: 0778-65-2727
- ・料金: 無料
- ・公式サイトURL: http://www.echizen.or.jp/
能面美術館
能面美術館の建つこの池田町は「能楽の里」として知られているそうです。各神社には古面が多くあるとか。現在は70種類の能面を展示していて、今後、全種類170もの展示が予定されています。面を作る人=面打師というのだそうですが、越前出目家、大野出目家などの世襲面打家の発祥の地がここ。750年もの伝統をぜひ絶やさず受け継いでいってもらいたいものですね。能面の魅力とは、見る人や角度によって表情が変わって見えること。奥深いですね。能面打ち教室もあるようですよ。(要問合せ)
■ 基本情報
- ・名称: 能面美術館
- ・住所: 〒910-2523 福井県今立郡池田町志津原17−2
- ・アクセス: 永平寺から約50分 (車)福井ICから40分 鯖江ICから30分 武生ICから30分 (バス)福鉄バス武生から55分 京福バス福井から1時間05分 (JR)金沢から福井まで50分 東京から武生まで3時間30分 大阪から武生まで2時間
- ・開館時間: 平日 午前10時~午後4時 土・日曜 午前10時~午後5時
- ・休館日: 毎週火曜日
- ・電話番号: 0778-44-7757
- ・入館料: 大人300円 小人200円(小中学生) 団体割引30名以上(1割引) 舞台使用料 1日2,000円+入館料
- ・公式サイトURL: http://www.kindlake.co.jp/noumen_bijyutukan.html
松岡古墳群
「松岡古墳群」は九頭竜川が坂井平野に流れ込む入口の左側の山稜に点在しているものです。その昔、弥生時代後期~古墳時代後期の400年間の墳墓が広がっているそうですよ。ここの墳墓約50基のうち4基の前方後円墳は国史跡指定。ほとんどが山稜などに作られていて実際に古墳の形や大きさを感じることはなかなかないようですね。松岡公園から登り口があるそうです。古墳に登れば景色が開けて坂井平野から日本海まで望めるとか。
■ 基本情報
- ・名称: 松岡古墳群
- ・住所: 吉田郡永平寺町松岡
- ・アクセス: 永平寺から約20分 「松岡公園」車の場合北陸道「福井北インター」から国道416号で旧松岡町内へ徒歩の場合えちぜん鉄道「松岡駅」下車徒歩10分
- ・電話番号: 0776-61-3400(永平寺町生涯学習課)
- ・公式サイトURL: http://kankou.town.eiheiji.lg.jp/guide/index.php?pathinfo=kofungun
吉峰寺(きっぽうじ)
道元禅師が越前入りして最初に滞在し、修行したとされる道場がここ「吉峰寺」。「正法眼蔵」の執筆を始めたのもここでした。この吉峰寺には「道元禅師像」、道元筆と伝えられている「守り札」、「開山座禅石」、「白山水」や他諸仏、諸菩薩などを所蔵しています。木々に囲まれ、厳かな雰囲気の吉峰寺です。吉峰寺~永平寺までの三里半の道は、道元禅師や仏心老大和尚などが通られた「祖跡コース」となっているそうですよ。
- ■基本情報
- ・名称: 吉峰寺
- ・住所: 吉田郡永平寺町吉峰35-2
- ・アクセス: 永平寺から約20分 越前竹原駅から徒歩で
- ・拝観時間: 9:00~17:00
- ・休業日: 年中無休
- ・電話番号: 0776-64-2536
- ・料金:無料
- ・公式サイトURL: http://www.fuku-e.com/010_spot/index.php?id=58
曹洞宗 清涼山 天龍寺
松岡駅から徒歩10分のところにある天龍寺。その昔、松尾芭蕉が「奥の細道」の道中に立ち寄った寺として有名なのだとか。もちろん句碑がありますよ。「物書きて扇引き裂く余波哉」。境内には「余波の碑」という石像があり、芭蕉と弟子との別れのシーンが再現され、その傍らに句碑が。天龍寺では座禅の修業を志すすべての人を歓迎。経験、性別、年齢、国籍、宗教を問わず、長期間短期間いずれの参禅もOK。懐ふか~いですね。参拝希望者は必ず電話、FAX、メール、郵便で連絡が必要。
■ 基本情報
- ・名称: 曹洞宗 清涼山 天龍寺
- ・住所: 吉田郡永平寺町松岡春日1-64
- ・アクセス: 永平寺から約15分 (電車)大阪(京都)方面からはJR北陸線で約二時間。 福井駅からえちぜん鉄道勝山線に乗り、松岡駅下車。 そこから徒歩で約10分です。 (車) 北陸自動車道 福井北ICから6分 駐車場有り (バス) 東京からは夜行バスも出ています。 福井駅からえちぜん鉄道勝山線に乗り、松岡駅下車。 そこから徒歩で約10分です。
- ・営業時間: 天龍寺に参禅されたい方は前もって電話・ファックス・電子メール・郵便などでご連絡ください。
- ・電話番号: TEL&FAX 0776-61-0471 Eメール tenryuji@snow.ocn.ne.jp
- ・公式サイトURL: http://www.tenryuji.net/
華蔵閣 大谷山 興行寺
蓮如上人の吉崎布教に貢献しました。周覚上人が応永13年に開創された由緒ある寺院です。納骨堂裏には周覚上人のお墓もあります。興行寺の自慢はいろいろあって、まずは樹齢350年以上といわれている「しだれ桜」。一般開放してライトアップもみられますよ~。また、銀杏も自慢です。秋には境内が銀杏の落ち葉で絨毯のようになるそうですよ。庭園の花々も四季折々に咲き、訪れる人を楽しませてくれています。また、仏教博物館「華の蔵」が隣接しています。
■ 基本情報
- ・名称: 興行寺
- ・住所: 吉田郡永平寺町藤巻34-2
- ・アクセス: 永平寺から約25分
- ・電話番号: 0776-64-2744
- ・公式サイトURL: http://www.kougyouji.jp/興行寺の歴史/
福井県立歴史博物館
福井駅から車で10分ほどのところにあります。「歴史ゾーン」は福井の歴史を現代から時代をさかのぼっていく展示です。福井ならではのジャカード機、越前焼などもあります。また、昭和20~30年代の記録映像やオリジナル番組が上映される「ミュージアムシアター」では震災や豪雪の記録映像も。そして高度経済成長で日本の暮らしが大きく変わった昭和30年代後半~昭和40年代の村や町の暮らしを再現した「昭和のくらしコーナー」も面白そうですよ。
■ 基本情報
- ・名称: 福井県立歴史博物館
- ・住所: 福井市大宮2-19-15
- ・アクセス:永平寺から約20分 車:北陸自動車道 福井北インターから西へ約15分(駐車場あり)JR福井駅より タクシー:約10分 京福バス:福井駅西口広場バスターミナルから「丸岡線 田原町経由」幾久公園下車。「大和田エコライン」県立歴史博物館前下車。 コミュニティバス・すまいる:福井駅西口広場バスターミナルから「文京・田原町方面」宮前町下車。 えちぜん鉄道:『三国芦原線』西別院駅下車 徒歩10分。福井鉄道:田原町駅下車 徒歩15分
- ・開館時間: 午前9時から午後5時まで入館は午後4時30分まで
- ・休館日: 第2・第4水曜日年末・年始(12月28日から1月2日まで) ※施設メンテナンスのために臨時休館することあり。
- ・電話番号: 0776-22-4675
- ・観覧料:入館料(一般100円、高校生以下・70歳以上の方無料)20名以上の団体 80円
- ・公式サイトURL: http://www.pref.fukui.jp/muse/Cul-Hist/
永平寺のご紹介はいかがでしたか?曹洞宗の道場、修業の場である歴史と伝統のあるこの場所で僧侶さんの暮らしを体験できるなんて魅力的すぎますよね。難しいことはありません、外国から訪れる観光客も多く、はじめてでも安心して参加することができます。次のお休みは一泊二日で足を運んで、自分を見つめなおす静かな時間をすごしてみてはいかがでしょうか?
また、永平寺だけでも見どころ満載ですが、周辺グルメや宿をはじめ、たくさんの観光スポットもあるので、せっかく永平寺に行ったならあれこれ見て回りたいものですね。伝統芸能、伝統工芸など日本の美を伝えるところや、古墳群、由緒ある寺院などどれも行ってみたいところばかりです。旅の参考にしてみて下さいね。
素材提供:トリップアドバイザー