Nan-Cheng Tsai
皇居正門っていわれてもどこ? ってピンとこない人もいると思いますが、二重橋の前にある門なので、きっとテレビで見たことあるとおもいます。なかなか通ることのない正門について、お伝えしたいと思います。「皇居正門(西の丸大手門)」とは?
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皇居正門(西の丸大手門)は皇居が江戸城だったころ西の丸の正門で、有名な二重橋と呼ばれている二つの橋を渡った門を言います。明治21(1888)年、明治宮殿造営のときにこの門のすぐ前にあった高麗門を撤去し、名称も皇居正門と改められました。建造は3代将軍徳川家光公の時代と考えられています。皇居正門 (西の丸大手門)の魅力
Hideyuki KAMON
皇居正門はいつも開門していません。公式行事や新年・天皇誕生日の一般参賀などの際にのみ開かれます。二つのアーチが美しい正門石橋を渡り、皇居正門を抜け、正門鉄橋を通過すると、一般参賀の時にテレビでよく映る宮殿東庭になります。「皇居正門(西の丸大手門)」周辺の見どころ
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- 二重橋:一般的に二重橋と思われているのは正門石橋ですが、皇居正門を通って次にある正門鉄橋が正式な二重橋です。江戸時代には上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたために二重橋と呼ばれていたそうです。
- 坂下門:文久2(1862)年、皇女和宮の降嫁を実現させた公武合体派の老中安藤信正が、水戸藩浪士を中心とした尊王攘夷派の志士に坂下門外で襲われた、坂下門外の変があった場所です。
- 桜田門:現存している城門の中で、最も広いのが桜田門です。現在のものは関東大震災で破損し、その際に鉄鋼土蔵造りに改修され、昭和36年に国の重要文化財に指定されました。桜田門は安政7(1860)年、勅許なく日米修好通商条約を締結し、安政の大獄を断行した大老井伊直弼が、水戸・薩摩藩浪士らに暗殺された桜田門外の変の舞台となった場所です。
基本情報
- ・名称:皇居正門 (西の丸大手門)
- ・住所:東京都千代田区千代田1-1
- ・アクセス:大手町(東京都)駅C10出口から徒歩約13分
竹橋駅1a出口から徒歩約13分 - 二重橋前駅6出口から徒歩約18分
- ・電話番号:宮内庁管理部管理課参観係TEL:03-3213-1111(代)
- 宮内庁京都事務所参観係TEL:075-211-1215(直)
- ・公式サイトURL:http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/koukyo.html