官僚であり実業家でもあった渋沢栄一は、明治の終わり頃から昭和の初め頃まで東京都北区の飛鳥山に住んでいました。今回は飛鳥山公園内にある渋沢史料館についてご紹介します。ちなみに飛鳥山公園は桜の名所でもあるんですよ。
晩香廬の命名については諸説あり、自身が作ったの漢詩の一節「菊花晩節香」から取ったとも「バンガロー」の当て字とも言われています。
外壁のタイルや窓のステンドグラスのデザインは渋沢家の家紋がモチーフになっています。
当時の歴史的背景も知ることができるので、歴史の勉強になります。
1.渋沢史料館とは?
渋沢史料館は東京都北区の飛鳥山公園内にあります。「飛鳥山3つの博物館」と呼ばれる博物館のうちの1つです。渋沢栄一は元は徳川慶喜の家臣でしたが大政奉還後は大蔵省への入省・退官を経て多種多様な500以上の企業の設立に携わり、日本資本主義の父と言われています。2. どんな魅力が?
財政界において数々の功績を残した渋沢栄一に関する資料が展示されています。常設展示では渋沢栄一の生涯が紹介されているほか、渋沢栄一をより広く深く紹介するための定期的に展示替えされる企画展示やイベントなどがあります。3.見どころ・お勧めポイント
晩香廬
晩香廬は大正6年に渋沢栄一の喜寿のお祝いにと現在の清水建設株式会社から寄贈された木造の洋風茶室で、国指定の重要文化財となっています。渋沢栄一がこよなく愛し、客室として使用されていたようです。晩香廬の命名については諸説あり、自身が作ったの漢詩の一節「菊花晩節香」から取ったとも「バンガロー」の当て字とも言われています。
青淵文庫
青淵文庫は大正14年に渋沢栄一に傘寿と男爵から子爵への爵位昇格を祝って、現在の渋沢栄一記念財団が寄贈した鉄筋コンクリート造2階建ての建物です。自身の書庫・客室として使用されていたようで、こちらも国指定の重要文化財です。外壁のタイルや窓のステンドグラスのデザインは渋沢家の家紋がモチーフになっています。
常設施設
生家での家業に精を出していた頃から徳川慶喜の家臣、大蔵省への入省、実業界での活躍、民間外交の先駆者としての活躍、福祉医療や女子教育などの社会活動、その他著名人との華やかな交流関係など、渋沢栄一の生涯と実業家としてだけではないあらゆる分野での功績が映像や資料で事細かに紹介されています。当時の歴史的背景も知ることができるので、歴史の勉強になります。
4.口コミ
その3 北区西ヶ原 渋沢史料館。1枚目 晩香廬、2枚目 青淵文庫。 pic.twitter.com/JmVggy1OJI
— わんこ (@nonorins) 2015, 8月 23
やっと来た!北区飛鳥山公園内の渋沢史料館。渋沢栄一ファンなのです