L’oeil étranger
http://home.384.jp/yuecha/topfhoto2.htm
会津若松城あるいは鶴ヶ城と地元で呼ばれ愛されている若松城は福島県会津若松にある五階建て地下二階の城です。国の史跡として指定されていて、むかしは黒川城とよばれたこともあったそうです。鶴ヶ城公園内にあり、復元工事がおこなわれ、城内には鶴ヶ城公園とその周辺の復元模型があります。個人でも団体でもボランティガイドを依頼し、鶴ヶ城について説明をうけることができます。日本100名城にも選定されたこの城の14の見どころをご紹介します。会津若松にそびえる、望楼型7重(地上5階地下2階)の天守閣。 戊辰戦争の際に、1か月もの籠城に耐え最後まで城を落とさなかった鶴ヶ城は、難攻不落とたたえられています。今回は、そんな鶴ヶ城の見どころについてご紹介します。
1.鯱(しゃちほこ)
鯱と言えば、名古屋城の金のしゃちほこが有名ですが、鶴ヶ城のしゃちほこも負けていません。鶴ヶ城のしゃちほこは銀でできています。 江戸時代の若松城下の家屋はほとんど木造、一旦火事になるとたちまち燃え上がり、大火になることが多かったそうです。http://blog.livedoor.jp/angelladdertakemi/archives/50444536.html鯱は、街を火事から守る守り神として大切にされてきました。 昔は、鯱も材木で作られていましたが、今の銀のしゃちほこは鶴ヶ城再建にあわせ地元の施工業者から寄贈されたものです。 なんと目は2カラットのダイヤモンドでできています。
鶴ヶ城のしゃちほこは、2つとも高さが155cm、重さが約200kgと、近くで見るとそれほど大きなものではありません。2010年の瓦の吹き替え工事の際は地上に下ろされて、近くで見ることができたそうです。今は、地上37メートルの天守閣の上に設置されており、残念ながら近くで見ることはできません。城を見上げたら、ぜひ、このしゃちほこを探してみてください。
2.鉄砲狭間
鉄砲狭間とは、天守にあけられた四角や丸、三角などの小さな窓上の穴のことを言います。 城の中から、鉄砲で外部の敵を狙撃するために用いられます。 http://blog.goo.ne.jp/umasan1021/e/abf94cbccec90ba44e5173882be4d4eeNHKドラマ「八重の桜」で綾瀬はるかさん演じるヒロインが城内部から場外の敵に向けて鉄砲を撃っていたシーンが記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
昭和になってから鉄筋コンクリートで再建された鶴ヶ城には、昔の鉄砲狭間は残されていませんが、城の中の南走長屋には人形で鉄砲狭間の使い方を解説したスペースがあり、当時の使い方が解るようになっています。他にも当時の貯蔵庫や、NHK大河ドラマで使用された衣装などが展示されており、昔の様子が具体的に わかる工夫がされています。
3.赤瓦
再建された鶴ヶ城の瓦が45年ぶりに葺き替えられた際、通常城郭に用いられる黒瓦ではなく、赤瓦が使われました。 http://photograph.pro/wallpaper/12057771_WXGA.html赤瓦は、表面に釉薬が施して焼かれており瓦の強度が強く、会津の厳しい冬の寒さにも耐えることができるといわれています。 戊辰戦争のころにも使われていた赤瓦は、白虎隊をはじめとする多くの幕末の志士たちも見上げたことでしょう。
鶴ヶ城に赤瓦が使われたのは、江戸初期、会津松平藩の藩祖保科正之公の時代です。それまでは通常の瓦を使用していたのですが、瓦が寒さ割れてしまうことから赤瓦が使われるようになりました。その後、明治政府は鶴ヶ城を取り壊してしまい、赤瓦も使われなくなっていました。この45年ぶりに葺き替えられた瓦は、同じ雪国の新潟の瓦メーカーが作成したものです。
4.廊下橋
廊下橋は本丸から二の丸へ通じる朱塗りの橋です。加藤明成の大改修まではここが大手口(正面玄関)でした。葦名時代には屋根のついた廊下造りだったので、廊下橋と呼ばれるようになったそうです。一般にいう「廊下橋」とは、御殿などとの間に架けられる特殊な橋で、城主やその一家、格の高い客などがこのような橋を使用しました。外からの矢玉を防いで、場内の人々が安全に移動できるようにするために生まれた工夫です。
鶴ヶ城は、室町時代には芦名氏の居城でしたが、戦国時代に伊達政宗に滅ぼされ、その後、蒲生氏、加藤氏、保科氏(松平氏)と主が変わっています。この廊下橋は、芦名氏と蒲生氏の時代までは屋根のついた廊下造りでしたが、加藤氏の時代になると正門でなくなり、屋根を取り壊してしまいました。その後の保科氏(松平氏)の時代も屋根をつけず、名前だけが残っています。