老舗のカレー店には、凛とした佇まいがある。 その味わいには、弓矢が的のど真ん中を射抜くように「この味しかない」という切れの良さがある。だからなのか、メニューはひとつしか置かず、チキンやビーフやポークなどお客には具を選ぶ余地もなかったりする。
「この味のカレーを食べてほしいんだ!」という店主の主張がハッキリ感じられるところが長年多くの人々に愛され続ける理由なのだろう。
そんな、長きに渡り人々を魅了してきた老舗の名物カレー4皿を、料理に隠された店主の矜持、数多の逸話と供にご紹介!
世に名物カレーは数多あれど、この店の“辛来飯(カライライス)”ほど、たくさんの人に愛されてきた名物はほかにないのかもしれない。だからこそ、2012年の閉店の知らせの際には、当時列島を震撼させるほどの衝撃が走った(大袈裟でなく)。なので、2013年に同じ銀座の柳通り沿いに辛来飯が復活した際のファンの喜びは計り知れないものであった。
3代目を襲名したのは飯塚健一氏。食べて、あまりの旨さに感激。「惚れ込んだ味」を変わらず提供する先代・宮田博治氏、美佐子さんご夫妻を、慕うようになるまで通い詰めた。閉店の報を受け、矢も盾もたまらず、自ら再建を志願。先代の薫陶を受けた後、修業に行っていたカフェの厨房や友人のキッチンで、あの味に至るまで試行錯誤すること、3カ月。現在の場所は出店を考え始めた頃、「偶然、見つけた」。
「カウンターのほかテーブル席もある」
品川、大井、大森、蒲田。盛りの度合いを、京浜東北線の駅名でなぞる品書きはもちろん健在。3代目は玉子がダブルで特盛りの「川崎」を新設した。レシピは無論、まったく同じだ。「元になるペーストにはクコも入っていて、野菜など使用食材はすべて国産。肉は使わず豚骨から取った出汁で作る。実は健康と美容に向く」。
新店と3代目のために、今も毎日、時間の許す限り手伝う先代も「ルウがきめ細かくて、僕より丁寧に作っているかも」と目を細める。店のキーカラーは大胆にも真っ赤に刷新したが「後で知ったんですけど、初代が好きな色だったそう」。復活は導かれし運命だったに違いない。
「創業した頃からありましたよ。当時はやっているところ、まだまだ少なかったんですけど」。
温かい笑みをたたえながら、カレーのことを語り始めたご主人の山下淳一氏。この店の開店は昭和27年で、当時は画廊喫茶を名乗り、先代も画家だった。半年の休業期間を経て今ある場所に移転し、昭和55年に再開。その時から数えても33年の歴史がある。「セイロン風というのは英国の家庭風ってこと。小麦粉を使うんです。飴色になるまで、よーく炒めて……」。
「1階の一番奥にある四つ足のテーブルは「創業当時から使ってます」との事」
黄味がかってトロリとしたルウは、まさに昭和のカレー。けれど、食べれば意外とスパイシーで、後からピリッとした辛さが追いかけてくる。「今さら変えられないですよ(笑)」。
ゴロッとじゃがいも、ホロホロの豚塊肉という具も当初から。セミ・コーヒー付きも、やっぱり不変だ。「昔の店は、広かったんですよ。120席。店の真ん中に箱庭があって池もあった。『ベ平連』が集ってよく議論していました。そうそう、図面が残っているからお見せしましょう」。静かに流れる時間が愛おしく感じられてカレーはさらに旨くなる。
「昭和30年代のメニュー。カレーとともに、すでに自家製アイスクリームも載っている」
平日の昼前、開店時間を回った途端、次々と訪れる客。すぐに半分以上の席が埋まる。「玉子入り」、「僕は大盛りを辛口で」。彼らのお目当ては一様にムルギーカレー。山のように盛られたごはん、コクある苦みと刺激的な辛さが渾然一体となったルウ。一度、食べたら忘れられない味だ。
それにしても驚くのは層の幅広さ。若い男性のひとり客はもちろん女性同士のふたり連れ、年配の夫婦、サラリーマン。皆、魅了されてしまっているのだ。「味は変えてないつもりですけど」そう言って笑うのはムルギーカレー発明者を父に持つ長女。今は妹さんとふたりで店を切り盛りしている。
「店は百軒店の坂を上り切ったところに位置する」
ムルギーとはヒンディー語で鶏肉。継ぎ足し継ぎ足しで野菜やスパイスと一緒に長時間煮込み続けているため、原型はほとんど留めていないが旨みはしっかり活きている。亡父の跡を継ぎ、支店も一切出さず、この場所だけで供されてきた秘伝の味だ。
「久し振りだけど、美味しかったよ」
先ほどの年配夫婦がそう言って店を後にする。それは、こちらも思わず笑顔になる幸せな日常の光景だ。
初代、主人の父ですけど、定次郎と言って果物屋の『万惣』さんで修業していました。その頃の慣例に従って、独立する際、万の字を貰い、屋号を『万定』としたんです」。
万定の果物屋としての創業は大正3年。今は閉店してしまったが、本郷通り沿いの一角に、その建物は残されている。フルーツパーラーが開店したのも「果物屋と同時期だった」とのことで、およそ一世紀にも及ぶ、暖簾を守っているのが外川喜美恵さん。カレーの誕生は昭和30年代だ。
「店内の巨大ミルは昭和9年米国製レジスターとともに今も現役」
「学生さんがたくさんいらっしゃるようになって『お腹いっぱいになるものを』と。それで主人が考えたんです」
そのカレー、まろやかでサラサラ、ガツンと苦みが効いていてクセになる味。今から半世紀も前に考案されたレシピとは思えないほど、個性的だ。「食いしん坊で食べることが大好き。鰻と決めたら一年間、毎日食べ続けちゃう、そんな人でした。カレーもいろいろ食べて自分なりの好みを研究したんじゃないかしら」。
亡き2代目ご主人の遺志を受け継いで、カレー作りは今、喜美恵さんの仕事。小麦粉がサラサラになるまで時間をかけて炒め焦がし、グルテンをなくす。そこが最大のポイント。「ハネて火傷をしたり、本当に大変(笑)。けど、『大人になって、苦みの旨さがやっとわかった』っておっしゃる、ご年配の方もいるんですよ」。通えばハマる魔性のカレーだ。
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「この味のカレーを食べてほしいんだ!」という店主の主張がハッキリ感じられるところが長年多くの人々に愛され続ける理由なのだろう。
そんな、長きに渡り人々を魅了してきた老舗の名物カレー4皿を、料理に隠された店主の矜持、数多の逸話と供にご紹介!
復活を果たした濃縮を極めた昭和のカレー 『銀座 ニューキャッスル』の”辛来飯”
「辛来飯(蒲田)とコーヒー」世に名物カレーは数多あれど、この店の“辛来飯(カライライス)”ほど、たくさんの人に愛されてきた名物はほかにないのかもしれない。だからこそ、2012年の閉店の知らせの際には、当時列島を震撼させるほどの衝撃が走った(大袈裟でなく)。なので、2013年に同じ銀座の柳通り沿いに辛来飯が復活した際のファンの喜びは計り知れないものであった。
3代目を襲名したのは飯塚健一氏。食べて、あまりの旨さに感激。「惚れ込んだ味」を変わらず提供する先代・宮田博治氏、美佐子さんご夫妻を、慕うようになるまで通い詰めた。閉店の報を受け、矢も盾もたまらず、自ら再建を志願。先代の薫陶を受けた後、修業に行っていたカフェの厨房や友人のキッチンで、あの味に至るまで試行錯誤すること、3カ月。現在の場所は出店を考え始めた頃、「偶然、見つけた」。
「カウンターのほかテーブル席もある」
品川、大井、大森、蒲田。盛りの度合いを、京浜東北線の駅名でなぞる品書きはもちろん健在。3代目は玉子がダブルで特盛りの「川崎」を新設した。レシピは無論、まったく同じだ。「元になるペーストにはクコも入っていて、野菜など使用食材はすべて国産。肉は使わず豚骨から取った出汁で作る。実は健康と美容に向く」。
新店と3代目のために、今も毎日、時間の許す限り手伝う先代も「ルウがきめ細かくて、僕より丁寧に作っているかも」と目を細める。店のキーカラーは大胆にも真っ赤に刷新したが「後で知ったんですけど、初代が好きな色だったそう」。復活は導かれし運命だったに違いない。
切れ味抜群。混じりけのないカレー 『喫茶 ルオー』の”セイロン風カレーライス”
「セイロン風カレーライス(セミ・コーヒー付き)。薄切りらっきょうと福神漬けも供される」「創業した頃からありましたよ。当時はやっているところ、まだまだ少なかったんですけど」。
温かい笑みをたたえながら、カレーのことを語り始めたご主人の山下淳一氏。この店の開店は昭和27年で、当時は画廊喫茶を名乗り、先代も画家だった。半年の休業期間を経て今ある場所に移転し、昭和55年に再開。その時から数えても33年の歴史がある。「セイロン風というのは英国の家庭風ってこと。小麦粉を使うんです。飴色になるまで、よーく炒めて……」。
「1階の一番奥にある四つ足のテーブルは「創業当時から使ってます」との事」
黄味がかってトロリとしたルウは、まさに昭和のカレー。けれど、食べれば意外とスパイシーで、後からピリッとした辛さが追いかけてくる。「今さら変えられないですよ(笑)」。
ゴロッとじゃがいも、ホロホロの豚塊肉という具も当初から。セミ・コーヒー付きも、やっぱり不変だ。「昔の店は、広かったんですよ。120席。店の真ん中に箱庭があって池もあった。『ベ平連』が集ってよく議論していました。そうそう、図面が残っているからお見せしましょう」。静かに流れる時間が愛おしく感じられてカレーはさらに旨くなる。
「昭和30年代のメニュー。カレーとともに、すでに自家製アイスクリームも載っている」
誰にも真似できない孤高のカレー 『ムルギー』の”ムルギーカレー”
「玉子入りムルギー。エバミルクでルウに波形を描き、茹で玉子にはひと筋のケチャップ。フルーツや香辛料を煮詰めて作る自家製チャツネもポイントだ」平日の昼前、開店時間を回った途端、次々と訪れる客。すぐに半分以上の席が埋まる。「玉子入り」、「僕は大盛りを辛口で」。彼らのお目当ては一様にムルギーカレー。山のように盛られたごはん、コクある苦みと刺激的な辛さが渾然一体となったルウ。一度、食べたら忘れられない味だ。
それにしても驚くのは層の幅広さ。若い男性のひとり客はもちろん女性同士のふたり連れ、年配の夫婦、サラリーマン。皆、魅了されてしまっているのだ。「味は変えてないつもりですけど」そう言って笑うのはムルギーカレー発明者を父に持つ長女。今は妹さんとふたりで店を切り盛りしている。
「店は百軒店の坂を上り切ったところに位置する」
ムルギーとはヒンディー語で鶏肉。継ぎ足し継ぎ足しで野菜やスパイスと一緒に長時間煮込み続けているため、原型はほとんど留めていないが旨みはしっかり活きている。亡父の跡を継ぎ、支店も一切出さず、この場所だけで供されてきた秘伝の味だ。
「久し振りだけど、美味しかったよ」
先ほどの年配夫婦がそう言って店を後にする。それは、こちらも思わず笑顔になる幸せな日常の光景だ。
レトロな空間で食べる優しいカレー 『万定 フルーツパーラー』の”カレーライス”
「カレーライス。ルウは2、3週間分を一気に作って寝かせ、たまねぎと豚肉から取ったスープと合わせ、さらに馴染ませる。非常に手間がかかる」初代、主人の父ですけど、定次郎と言って果物屋の『万惣』さんで修業していました。その頃の慣例に従って、独立する際、万の字を貰い、屋号を『万定』としたんです」。
万定の果物屋としての創業は大正3年。今は閉店してしまったが、本郷通り沿いの一角に、その建物は残されている。フルーツパーラーが開店したのも「果物屋と同時期だった」とのことで、およそ一世紀にも及ぶ、暖簾を守っているのが外川喜美恵さん。カレーの誕生は昭和30年代だ。
「店内の巨大ミルは昭和9年米国製レジスターとともに今も現役」
「学生さんがたくさんいらっしゃるようになって『お腹いっぱいになるものを』と。それで主人が考えたんです」
そのカレー、まろやかでサラサラ、ガツンと苦みが効いていてクセになる味。今から半世紀も前に考案されたレシピとは思えないほど、個性的だ。「食いしん坊で食べることが大好き。鰻と決めたら一年間、毎日食べ続けちゃう、そんな人でした。カレーもいろいろ食べて自分なりの好みを研究したんじゃないかしら」。
亡き2代目ご主人の遺志を受け継いで、カレー作りは今、喜美恵さんの仕事。小麦粉がサラサラになるまで時間をかけて炒め焦がし、グルテンをなくす。そこが最大のポイント。「ハネて火傷をしたり、本当に大変(笑)。けど、『大人になって、苦みの旨さがやっとわかった』っておっしゃる、ご年配の方もいるんですよ」。通えばハマる魔性のカレーだ。
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