日本史上で人気な人物で常にランキングトップにランクインするのが 「源義経」。その彼の生い立ちを辿りながら名所を紹介します。
これらの2つの画像はそれぞれ義経が生まれた時に初めて産湯を使ったとされる井戸の跡となっています。
どちらが本当に産湯で使われた井戸なのかわかりませんが、どちらも義経が生まれた時に使われた水をくんできた井戸だとされています。もしかしたら二つの井戸の水を使われたのかもしれませんね。
まず、上記の画像である「牛若丸誕生井」は名前の通りここで義経が生まれたとされる跡地の記念碑です。もう一つの下記の画像である「源義経産湯ノ遺址」はこのあたり一帯が源頼朝の別邸が建てられていたようです。どちらも一度訪れてみてはいかがでしょうか?
義経が7歳の頃にこのお寺に預けられ、16歳で奥州平泉に向かうまでここで育ったという伝説があります。義経が幼少期に天狗に剣術や武術を習ったという逸話がありますが、その天狗である「鞍馬天狗」を祭った大きな顔があります。
ここで天狗に教わった剣術と武術が後に戦う大男、弁慶を倒すのに役立ったのでしょうか。
義経といえば・・・この「五条大橋」での弁慶との戦いでしょう。義経伝説を詳しく知らない方でもこの弁慶との戦いはおそらく知っている方が多いと思います。ちなみに左が弁慶で、右が義経です。
ただ、この五条大橋。平安時代では今の位置にはなく、現在の「松原橋」と呼ばれる橋の位置にあったとされています。
この「神泉苑」は義経と静御前が初めて出会った場所で有名です。その出会いがこれまたロマンチックです。この「神泉苑」は当時において祈雨の霊場として有名で、多く女性がここで雨乞いの舞や雨乞いの歌を詠んだりして雨乞いの儀式を行いました。静御前もそんな女性の一人でした。たまたま義経が「神泉苑」に訪れた際に雨乞いの舞を踊っていたのが他ならぬ静御前だったのです。
その姿に義経は心を奪われ、静御前に言い寄ったとされています。要は一目惚れということでしょうか。男女の恋愛のカタチは昔から変わらないのかもしれませんね。
これまた不思議な伝説ですが、この石は幼少期の弁慶が大切にしていた石です。なぜそんなに大切にしていたかはわかりませんが、この石なんと弁慶と一緒に奥州平泉に連れられた時に「三条京極」(弁慶が幼少期に住んでいたとされる地域)に帰りたいと叫んだそうです。石が叫んだのは弁慶が愛したからなのか、この石自体がなにかパワーを持っているのかわかりませんが、そういう伝説を持つ石です。
この石も有名なのですが、それ以上にこの石のすぐ横にある、あるお店の方が有名かもしれません。そのお店とは、「よーじや三条店」というお店です。こちらはあぶらとり紙などの化粧品で有名なお店で、カフェも設置されたりして女性に人気のお店です。
今はもう跡形がなく、石碑が立っているだけですが立派なお屋敷が平安時代にはあったようです。ここは義経と静御前が一緒に過ごしたお屋敷とされています。
「左女牛井」(さめがい)とはかつてこのお屋敷にあったとされる井戸があった場所の跡地です。一説によると、義経がこのお屋敷を追い出された後に兄である「源頼朝」に燃やされてしまったようです。
義経が16歳の時に鞍馬寺から平泉に逃げようとした時に道中の無事を祈ったのがこの「首途八幡宮」と言われています。名前がユニークですが、この神社は元々「内野八幡宮」という名前だったのが義経の出発つまり首途(かどで)の無事を祈ってという意味で今の名前となっています。
義経伝説を巡っているのならば、この「義経大日如来」にまつわる義経の残忍の行為もきちんと知っておきましょう。義経は先の首途八幡宮で祈祷し、出発したわけですがその道中で父の敵である「平家」の武士とその従者9名に出会いました。そのときに、従者の馬が泥を蹴り上げ義経の服にかかったようで、それに怒り狂った義経が9人の従者を殺し、武士の鼻と耳をそぎおとしたという逸話があります。その場所の近くにあった村の村人たちがその9人を弔われ、9体の石仏をつくり祀ったようです。その一体がこの京都にある「義経大日如来」と言われています。
義経のいい面ばかり誇張されていますが、このようなこともしていたことも理解しておくべきでしょう。
いかがでしたか?京都から始まる「義経伝説」。旅行先に上記8つがある地域に訪れる際にはぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
1.牛若丸誕生井・源義経産湯井ノ遺址
http://densetsu.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1110230003.JPG.html
義経が生まれたとされる場所!!
これらの2つの画像はそれぞれ義経が生まれた時に初めて産湯を使ったとされる井戸の跡となっています。
どちらが本当に産湯で使われた井戸なのかわかりませんが、どちらも義経が生まれた時に使われた水をくんできた井戸だとされています。もしかしたら二つの井戸の水を使われたのかもしれませんね。
まず、上記の画像である「牛若丸誕生井」は名前の通りここで義経が生まれたとされる跡地の記念碑です。もう一つの下記の画像である「源義経産湯ノ遺址」はこのあたり一帯が源頼朝の別邸が建てられていたようです。どちらも一度訪れてみてはいかがでしょうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/GALLERY/show_image.html?id=48024746&no=3
■ 基本情報
- ・名称:牛若丸誕生井
- ・住所:〒603-8435 京都府京都市北区紫竹栗栖町49-3
■ 基本情報
- ・名称:源義経産湯井ノ遺址
- ・住所:京都市北区紫竹牛若町
2.鞍馬寺
http://kuksa.hatenablog.com/
幼少期に義経が預けられたとされているお寺
義経が7歳の頃にこのお寺に預けられ、16歳で奥州平泉に向かうまでここで育ったという伝説があります。義経が幼少期に天狗に剣術や武術を習ったという逸話がありますが、その天狗である「鞍馬天狗」を祭った大きな顔があります。
ここで天狗に教わった剣術と武術が後に戦う大男、弁慶を倒すのに役立ったのでしょうか。
http://kyoto-hotel.link/kurama-kibune/
■ 基本情報
- ・名称:鞍馬寺
- ・住所:〒601-1111 京都府京都市 左京区鞍馬本町1074
- ・アクセス:京阪電車、出町柳駅から叡山電車で「鞍馬駅」(30分)
- ・電話番号:(075)741-2003
- ・公式サイトURL:http://www.kuramadera.or.jp/index.html
3.五条大橋(弁慶との出会いの場所)
http://kioto-syokai.at.webry.info/201301/article_30.html
義経伝説といえば、この弁慶との戦い!
義経といえば・・・この「五条大橋」での弁慶との戦いでしょう。義経伝説を詳しく知らない方でもこの弁慶との戦いはおそらく知っている方が多いと思います。ちなみに左が弁慶で、右が義経です。
ただ、この五条大橋。平安時代では今の位置にはなく、現在の「松原橋」と呼ばれる橋の位置にあったとされています。
http://s.webry.info/sp/kioto-syokai.at.webry.info/201301/article_30.html
■ 基本情報
- ・名称:五条大橋
- ・住所:京都府京都市東山区宮川筋8丁目
4.神泉苑(静御前との出会い)
http://kyonosora-hanabana.at.webry.info/201211/article_3.html
運命の出会いはここから始まった・・・
この「神泉苑」は義経と静御前が初めて出会った場所で有名です。その出会いがこれまたロマンチックです。この「神泉苑」は当時において祈雨の霊場として有名で、多く女性がここで雨乞いの舞や雨乞いの歌を詠んだりして雨乞いの儀式を行いました。静御前もそんな女性の一人でした。たまたま義経が「神泉苑」に訪れた際に雨乞いの舞を踊っていたのが他ならぬ静御前だったのです。
その姿に義経は心を奪われ、静御前に言い寄ったとされています。要は一目惚れということでしょうか。男女の恋愛のカタチは昔から変わらないのかもしれませんね。
http://miseban-panda.seesaa.net/article/199609385.html
■ 基本情報
- ・名称:神泉苑
- ・住所:〒604-8306 京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町166
- ・営業時間:8:30~20:00
- ・電話番号:075-821-1466
- ・公式サイトURL:http://www.shinsenen.org/index.html
5.弁慶石
http://blog.kyyyo.jp/2008/06/post-215.html
幼少期の弁慶が愛した石!?
これまた不思議な伝説ですが、この石は幼少期の弁慶が大切にしていた石です。なぜそんなに大切にしていたかはわかりませんが、この石なんと弁慶と一緒に奥州平泉に連れられた時に「三条京極」(弁慶が幼少期に住んでいたとされる地域)に帰りたいと叫んだそうです。石が叫んだのは弁慶が愛したからなのか、この石自体がなにかパワーを持っているのかわかりませんが、そういう伝説を持つ石です。
この石も有名なのですが、それ以上にこの石のすぐ横にある、あるお店の方が有名かもしれません。そのお店とは、「よーじや三条店」というお店です。こちらはあぶらとり紙などの化粧品で有名なお店で、カフェも設置されたりして女性に人気のお店です。
http://kyoto-info.dreamlog.jp/tag/%E3%82%88%E3%83%BC%E3%81%98%E3%82%84%E3%82%AB%…
■ 基本情報
- ・名称: よーじや三条店
- ・住所: 京都市中京区三条麩屋町東北角
- ・営業時間:10:00~22:00
- ・定休日: なし
- ・電話番号: 075-221-4503
6.源氏堀川館跡
http://www5e.biglobe.ne.jp/~crows-up/trip-kyoto.html
義経と静御前が一緒に過ごしたお屋敷
今はもう跡形がなく、石碑が立っているだけですが立派なお屋敷が平安時代にはあったようです。ここは義経と静御前が一緒に過ごしたお屋敷とされています。
「左女牛井」(さめがい)とはかつてこのお屋敷にあったとされる井戸があった場所の跡地です。一説によると、義経がこのお屋敷を追い出された後に兄である「源頼朝」に燃やされてしまったようです。
■ 基本情報
- ・名称:源氏堀川館跡 左女牛井之跡
- ・住所:京都市下京区堀川通五条下る
- ・アクセス:JR花園駅~丹波口駅で下車
7.首途八幡宮(かどで はちまんぐう)
http://tekutoko.com/rekishi/%E9%A6%96%E9%80%94%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE/attach…
奥州への旅の無事を祈願!!
義経が16歳の時に鞍馬寺から平泉に逃げようとした時に道中の無事を祈ったのがこの「首途八幡宮」と言われています。名前がユニークですが、この神社は元々「内野八幡宮」という名前だったのが義経の出発つまり首途(かどで)の無事を祈ってという意味で今の名前となっています。
■ 基本情報
- ・名称:首途八幡宮
- ・住所:〒602-8445 京都府京都市上京区智恵光院通今出川上る桜井町102−1
- ・電話番号:075-431-0977
- ・公式サイトURL:http://www.nishijin.net/kadodehachimangu/
8.義経大日如来
http://kyoto-brand.com/cms/guest/t-katsuragi/yokaido/yoshitune_kujyoyama/
義経の残忍な行為の証
義経伝説を巡っているのならば、この「義経大日如来」にまつわる義経の残忍の行為もきちんと知っておきましょう。義経は先の首途八幡宮で祈祷し、出発したわけですがその道中で父の敵である「平家」の武士とその従者9名に出会いました。そのときに、従者の馬が泥を蹴り上げ義経の服にかかったようで、それに怒り狂った義経が9人の従者を殺し、武士の鼻と耳をそぎおとしたという逸話があります。その場所の近くにあった村の村人たちがその9人を弔われ、9体の石仏をつくり祀ったようです。その一体がこの京都にある「義経大日如来」と言われています。
義経のいい面ばかり誇張されていますが、このようなこともしていたことも理解しておくべきでしょう。
■ 基本情報
- ・名称:義経大日如来
- ・住所:東山区蹴上インクライン疎水公園
いかがでしたか?京都から始まる「義経伝説」。旅行先に上記8つがある地域に訪れる際にはぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか?