【会津坂下町】とは?
会津盆地の西部にあります。町の中部から東側には盆地が広がっており、比較的平坦であり水田が多く、豊かな水資源に恵まれた肥沃な土地では、会津盆地穀倉地帯の一部としてコシヒカリの銘柄米の産地となっています。西側には山林が多く。町の東から北にかけて阿賀川が流れ、西部には只見川が流れています。冬季になると日本海型気候の影響が大きく、盆地特有の寒暖差があり、積雪は1mを越える事があるといいます。
【会津坂下町】の魅力
【会津坂下町】は歴史的文化遺産が数多く残され、更に自然豊かな場所です。史跡や文化遺産などは観光スポットとしてご紹介するとして、こちらでは自然の魅力をご紹介したいと思います。越後街道沿いには昔から『束松』と呼ばれる特殊な樹形のアカマツが生育している事で知られています。更に近くにはヒメサユリも群生しており、春になると一面がピンクの花で咲き乱れ可愛らしくも美しい風景と化します。
春の花と言えば桜も外せませんよね。会津坂下町にある『杉の糸桜』はご存知でしょうか?樹齢は推定で200年と言われています。胸高幹の周囲は約3.2m・樹高6mにも及びます。花弁はやや白色をしており、エドヒガンザクラの一種。会津五桜の1つで、多くの人々に愛されています。県緑の文化財であり、町指定の天然記念物です。
落ち着いた雰囲気に自然がなじみ、どこかふるさとの様な安心感に包まれる、そんな魅力が【会津坂下町】に溢れています。
【会津坂下町】の歴史
会津地方は古くから阿賀野川(阿賀川)を遡り、多くの人や文化の流入がありました。盆地西側にあたる丘陵には出崎山遺跡や鍛冶山遺跡など、旧石器時代の遺跡が残っており、早くから人々の生活地であった事がわかります。古墳時代では、県内最古級の<杵ヶ森古墳>や、県内最大とされる<亀ヶ森古墳>、東北地方の前方後方墳で初めて銅鏡が出土した<森北1号墳>などが現存しており、この地に有力豪族が勢力を伸ばしていた事がわかるのです。
高寺山伝承が物語る様に、仏教に関する文化財も数多く存在し、仏教文化の開花も顕著に分かります。近世には、阿賀川・只見川を利用した水上交通網とともに陸上交通網も発達、越後街道の宿場町として発展したのです。
おすすめ観光スポット
国指定史跡・亀ヶ森 鎮守森古墳
亀ヶ森古墳は全長127mの前方後円墳で、変形が著しいものの、東北地方最大級と言われる古墳として注目されています。鎮守森古墳は全長55m、墳丘の保存状態は良好で、昭和50年の測量調査で前方後方墳である事が改めて確認されました。これらの古墳からは円筒埴輪やつぼ型土器なども出土しており、4世紀後半に築造されたと考えられています。両古墳の周辺には他にも多くの古墳があり、また横穴も所在していることから、会津盆地の中でも古墳が密集している地域として注目されています。
県指定重要文化財 絹本著色光明本尊
縦149.5cm、横84.9cmで描かれた絵画。阿弥陀仏の名号を中心に左右にインド・中国・日本の浄土関係の祖師の系譜を描き、念仏する衆生全ての救済を表現した曼荼羅様式となっています。浄土真宗独自の画像で、諸像の的確な描写や温和な色遣いで、鎌倉時代末の製作ではないかと考えられています。県指定史跡 杵ヶ森古墳
杵ヶ森古墳は”新編・会津風土記”の坂下村の項に掲載され、県の遺跡地名表には円墳と報告されていました。しかし、昭和63年に付近一帯の区画整理事業に伴い、発掘調査を行った結果、同古墳は県内でも最古の前方後円墳であると判明。更に古墳の周辺にも十基の周溝墓と十三軒の竪穴住居跡などが発見され、遺跡の重要性が明らかとなりました。出土品の1つ、土師器から築造が4世紀であると考えられています。現在、古墳を含む遺跡の中心部分を公園として整備し保存されています。
国指定重要文化財 旧五十嵐家住宅
桁行八間半、梁間三間半、寄棟造に茅葺で正面に向かって左寄りに大戸口があります。屋内は左手3/1を土間およびを馬屋とし、右手は居間・座敷・寝室の三間取ヒロマ型となっています。これは会津平坦部の中堅層農家住宅の典型的な造りで『享保14年』に建てられたものです。昭和30年まで住居として使用され、現在は比較的改造の少ない状態で移築。平成8年から一般公開されています。
国指定重要文化財 木造千手観音立像<立木観音>
地元の人々には『塔寺の立木観音』と言われ、親しまれている欅材の一木造りの千手観音像。像の高さは7.42m、総高は8.50mという大像です。関東方面に多い立木観音像に比べて、目鼻立ちや衣文の彫りなどが本格的な志向が見受けられる。一本の木を利用して造られている為、床下まで根が続いているという言い伝えも残されています。堂内には菩薩の従者である二十八部衆・風神雷神など、併せて三十躯がほぼ完全な形で揃っています。安置されている観音堂自体も国重要文化財に指定されています。
国指定史跡 陣が峯城跡
陣が峯城跡は段丘崖である東辺をのぞき、周囲を二重の堀が巡る。郭内は東西約110m・南北約170mの広さを持っています。12世紀の城跡遺跡の類例は乏しいですが、この陣が峯城跡の立地と二重の堀を巡らせた構造は、奥州藤原氏の拠点である遺跡と共通しており、会津地方における政治的な中心施設であったと考えられています。発掘作業で堀立柱建物跡・中国産白磁四耳壺・水注・高麗青磁碗などの奢侈品と、火災によって炭化した椀・盤・挽物容器・飯類・穀豆類などが出土。これらの遺物から城跡は12世紀前半代に築かれ、その後に廃絶したものと思われている。
この地域の地理的条件から、伝承として残されている『越後の城氏』に関係している可能性もあるとされ、12世紀の城館の中でも極めて貴重な遺跡であるとされています。
国指定重要文化財 木造薬師如来坐像<上宇内薬師>
会津五薬師の1つ、上宇内薬師は183cmのケヤキ一木造りの坐像です。胸板を厚くし、体感部の量感を出す構造で造られている。厳しく力強い表情は薄れ、穏やかであるこの像は十世紀の造像と考えられています。元々この像は、調合寺の本尊でありましたが寺が荒廃、元禄4年に薬師堂が再建され再興したと言われています。堂内には他にも日光・月光菩薩立像、宝光虚空蔵菩薩立像、聖観音菩薩立像、十二神将五躯なども安置されている。
おすすめホテル
松林閣
純和風の旅館。広々としたお風呂は露店風呂もあって、ゆったりと寛ぐ事ができます。料理も美味しいと評判。そしてなんとこの旅館、座敷わらしが出ると言う噂も…出会えたらいい事あるかもしれませんよ♪おすすめ名産グルメ
幻とも言われる『ばんげの酒』
会津坂下町の地酒です。米どころ会津の中でも有数の極上米がとれる会津坂下町。水が豊富で水質も良い事から極上の地酒が出来上がります♪町内には江戸・明治からの老舗酒蔵が3蔵あり、伝統と研究を重ね、それぞれに個性豊かな酒を製造されています。馬刺しや会津の郷土料理を肴に、芳醇な味わいをお楽しみください。味噌・醤油
味噌・醤油の醸造には長い歴史を持つ会津坂下町。町内には醸造蔵が3蔵あり、いずれも頑固なまでの伝統とこだわりを持ち、旨さへの新たな試みに挑戦しつづけています。各蔵に訪れると自慢の味噌・醤油・漬物の味を楽しむ事ができます。さくら肉<馬刺>
会津坂下町は旧越後街道の宿場町として栄え、多くの馬が人々の生活と密接に関わっていました。昔は馬のセリ場があったため『さくら肉』を食べる様になったと言われています。『ばんげの馬刺し』の特徴は脂身のない赤身肉に各店秘伝の辛味ニンニクだれを醤油に溶いて食べるのだそうです。蕎麦
会津坂下町の山間部には澄んだ空気と、昼夜の寒暖差が大きいという気候から、良質な蕎麦を育む最適な土地と言われています。『ばんげのそば』は蕎麦粉を伸ばすだけではなく、打つ事によって喉ごしの素晴らしい蕎麦に仕上げています。イベント
ばんげ初市大俵引き
毎年1月14日、極寒の中を下帯一本の男衆が東西に分かれ、長さ4m・高さ2.5m・重さ5tの大俵を勇ましく引きあいます。『会津の冬の風物詩』とされ、上町(東方)が勝つとその年の米の値が上がり。下町(西方)が勝つと豊作になると言われています。更に、引き子は一年間無病息災になるといわれ、全国から引き子が集まるといいます。大俵引きが終わると福豆俵撒きが行われ、これを拾うと一年間福が授かると言われています。
御田植祭
毎年7月7日に開催、その年の実りを祈願し実施される『御田植祭』。神輿渡御、太鼓台の巡行、奉納親善相撲が行われます。更に、春の到来を告げる『早乙女踊り』が町内各所で奉納もされる。【会津坂下町】へのアクセス
車
磐越自動車道→新鶴スマートIC磐越自動車道→会津坂下インター
JR
只見線利用■ 基本情報
- ・名称:福島県河沼郡会津坂下町
- ・電話番号:0242-84-1503(会津坂下町役場)
- ・公式サイトURL:http://www.town.aizubange.fukushima.jp/
小さな町ですが、貴重な歴史遺産・遺物の多くが残る『会津坂下町』。古き時代を想いながら町を廻るのも休暇を満喫するのにはおすすめです♪自然も豊かで心も体も清々しくリフレッシュできるのではないでしょうか。